海ちゃんのお気楽生活
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華麗なる3大ヴァイオリン協奏曲 2014/01/18
川口リリアでのニューイヤーコンサート2014に行って来ました。
あまりにも素敵な企画で、期待でいっぱい、もちろん、素晴らしかったです。
指 揮:高関 健
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
ヴァイオリン:南 紫音/加藤知子/千住真理子
[プログラム]
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64(南 紫音)
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35(加藤知子)
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.61(千住真理子)
特に、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を千住真理子さんの演奏で聴けるとは、本当に感激でした。
私としては、ブラームスのヴァイオリン協奏曲も入れて、4大で聴きたかったなあと、ちょっと贅沢にも思ってしまいました。
実はこの日は私のお誕生日、息子と娘からのおめでとうの電話にこの年になってもやっぱり嬉しくて、ニコニコ顔になってしまう。
コンサートでうっとりした後は、いつものワイン食堂へ、なんとマスターのパパさんもお誕生日、みんなで乾杯して、とても素敵な一日になりました。
#LIVE
「恩」と言う言葉 2014/04/03
kaiちゃんからもたくさんの恩をもらっています。毎日、恩返ししても追いつきません。
今はもう卒業式で歌わなくなってしまった「仰げば尊し」
この歌の原曲がアメリカの歌であったと知りました。
もちろん、歌詞は全く違うのですが、原曲は「Song for the Close of School」でやはり卒業式で歌われていたのだそうです。
「仰げば尊し」自分のために、ここに歌詞を記しておきます。
1.仰げば 尊し 我が師の恩
教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
今こそ 別れめ いざさらば
2.互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩
別(わか)るる後(のち)にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ いざさらば
3.朝夕 馴(な)れにし 学びの窓
蛍の灯火(ともしび) 積む白雪(しらゆき)
忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば
歌詞が現代にそぐわなくなって来ているのは、理解できます。特に2番の「身を立て 名をあげ 」なんて、どうなんだろうって思います。
でも、メロディも言葉もとても美しい曲なのに、歌われなくなってしまったのは、残念です。
昭和の時代、卒業式と言えば「仰げば尊し」と「蛍の光」でした。この曲に慣れ親しんできた世代にとっては、口ずさめば、今もぐっと胸にこみ上げるものがあります。
でも、寂しいけれど、いつかは忘れられてしまう歌なのでしょうね。
ところで、歌詞の中で繰り返されている「恩」と言う言葉、最近耳にしました。
フィギュアスケートの浅田真央選手が、ソチ五輪でフリーのあの素晴らしい演技の後のインタビューで、
「たくさんの方に支えてもらったので、自分なりの恩返しができたのではないか」
と話していたのです。
その時の恩返しと言う言葉、とても新鮮に響きました。
そうだそうだ、私もいろいろな人たちに助けられて来たなあ、果たして恩返しできているだろうかと胸に手を当てて考えてしまいました。
「恩」と言う言葉、忘れていた気がします。
「恩着せがましい」とか、「恩を仇で返す」「恩知らず」など、負の言い回しもありますが、
「恩返し」「恩送り」実に日本的で美しい言葉だとしみじみ思いました。
熊とにんげん 2014/05/08
急に事務所の移転を思い付き、1月末に思い立ったと思ったら、1回目の内覧で即断、ひと月後には引っ越し、我ながらそのスピーディな決断と行動には目を見張りました。
案の定2月から3月にかけては、物件探しから始まり、引っ越しの荷造り、荷解き、サーバーやパソコンの移転と設定、住所が変わったことによるなんやかやの手続き、もう目が回るほどの忙しさでした。
約13年を過ごした以前のオフィスは、荷物も次第に増え、仕事も段々煮詰まって来ていました。いっそのこと無駄な物は整理してしまうためにもと思い切って環境を変えたら、心機一転、新たにまた頑張る気持ちが湧いてきました。
新オフィスは建物は古いビルだけど、清潔で明るい部屋、近くには区役所、郵便局、駅からは遠くなってしまったけれど目の前にバス停、自宅からは歩ける距離、なんて素敵!
おまけに図書館まで30秒、お昼休みになるとちょくちょく通っています。最近、館内にレストランまでできて、嬉しい限りです。
さてここからが本題です。
先日のお昼休み、いつものように何を借りようかな?と書架をぐるーっと眺めて回っていた時に、ふと目に留まった本「熊とにんげん」。 「にんげん」がひらがなであることに、不思議な感じがして、借りてきました。
おどりができる茶色い熊と7つのまりでお手玉ができるにんげんのおじさんは一緒に旅をします。
おじさんの持ち物は、鉄のフライパンとひとつの音しか出ない角笛と7つのまり。
心根のいいおじさんの友だちは熊と神さま。
ゆっくりと、ひと呼吸に三歩の足取りで田舎道をあるいていきます。
ポーランド生まれのドイツの絵本作家、物語作家、挿し絵画家であるライナー・チムニクの1954年の処女作、上田真而子氏の翻訳です。
暖かいまなざしで描かれたユーモアたっぷりでしかも抒情ある黒白の線画と四季の移り変わりがとりわけ美しく綴られたなめらかな文章、物語はふたりの歩みのように静かに進んでいくのだけれど、ドラマチックな展開で息を飲むシーンもあります。
チムニクの世界にすっかり引き込まれてしまい、読み終わった後は何とも言えない切ない気持ち、けれど清々しい気持ちがじわーと湧いて来ました。
たんたんと過ぎて行く人生なのだけど、時には大変な事件、苦労、戦いも起きます。そんな時にはおじさんは神さまにお願いして、なんとか困難を乗り越えて行きます。
友だちの熊と一緒に。
熊とにんげんが心通じ合う物語、おじさんの得意は熊のことばがわかることなのです。
おじさんのようにたんたんと毎日を過ごし、ことさら騒ぎ立てることなく、困ったときには神さまの力を借りて乗り越え、ある日すーっと静かに消えるようにいなくなる、それでいいなあ、それがいいなあと、そんな風でありたいなあと思ったのでした。
ドイツ語の原題は「Der Bär und die Leute」、単純に熊と人、熊と人間、なぜ、ひらがなでにんげんとしたのか、訳者の感性が伝わってきます。日本語だからこその伝え方ですね。
「熊とにんげん」もう、絶版になってしまっているのですが、できることなら側に置いておきたい一冊です。
因みに、たくさんの素晴らしい挿し絵の中でも私のお気に入りは
51ページの「空がぱっとあかるくひらける季節」
それと、どうしてももう一つ、
61ページ「水たまりにはった 薄氷をふみわる 熊おじさんと 熊」の絵です。
もし、機会があったらぱらりとめくってみてください。
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◆田中保育園長からの伝言
ひらお保育園の田中雄二園長のメッセージの全文は以下の通り。
寝ていては いけないのだと思う 黙っていては いけないのだと思う あきらめては いけないのだと思う
昨日、安倍内閣は臨時閣議で 憲法の解釈を変えるという 途方もない手段で 日本の平和憲法の柱 「戦争の放棄」が変えられた
みなさん 知っていますか
二年前 自民党が政権に復帰した 総選挙の得票率を
わずかに24% 全国民の民意の四分の一 それで国会の議席 過半数を占めるという 小選挙区制度の不思議さ その不当さ
みなさん 知っていますか
第二次世界大戦の中で 日本軍として参戦した 兵隊二百四十万人が死んだことを
そして 日本軍によって アジア全体で殺された人たちは二千万人ということを なかでも 中国では 一千万人もの 多くの命が 奪われたことを
みなさん 知っていますか
戦争が終えた一九四五年の 日本の平均寿命を 男性二十三・九歳 女性三十七・五歳 信じられない この年齢 そのもつ意味 そのもつ重み
一九四五年三月 東京下町への大空襲 八月六日 広島への 原爆の投下 八月九日 さらに 長崎へも…
累々(るいるい)として おびただしい 死者の叫び 命の訴え
けっして 取り戻すことのできない 命の代償 家族の無念さ
そして 戦争が終えた そして 憲法が産まれた
時の権力によって 時の政権によって 二度と再び 戦争が 起こされることがないように 事情や状況を問わず 外交問題の解決に 武力を行使することが けっしてないように 私たちの 日本国憲法が 産まれた
その後 六十七年間 朝鮮戦争でも ベトナム戦争でも 湾岸戦争でも また イラク戦争でも アフガン戦争でも 日本が直接に 戦争を起こすことは なかった 日本が直接に 戦争に巻き込まれることは なかった
いま 寝ていてはいけないと思う いま 黙っていてはいけないと思う いま あきらめてはいけないと思う
子どもたちが そのまた子どもたちが 建物を くらしを 地域を破壊し ひとのいのちを 奪わないため ひとにいのちを 奪われないため
くらしや文化 言葉や習慣は違っても 地球に住む さまざまな世界の人たちと ともに手をつないで生きるため
知っていますか 安倍総理大臣にも 小野寺防衛大臣にも 国務大臣には 憲法を擁護する 義務があることを
知っていますか 私たち 日本の国民には 二度と戦争を起こさないために 憲法を守り 育てる 不断の努力が 求められていることを
寝ていては いけないと思う 黙っていては いけないと思う あきらめては いけないと思う いま このときに
不戦の誓いのもと 憲法の骨格に 第九条「戦争放棄」を 明確にもつこの日本の国で
憲法改正の手続きも 議論も経ず 閣議で解釈の変更を 了承する形で
これまで六十七年間 現在の憲法下では法的にできないと すべての政権が公言していた 集団的自衛権
これを「解釈改憲」として 閣議で決定した「現政権」
この事態に 一人の保育者として 一人の日本人として 私になにができるか 考えました
そして ここにみなさんに 伝える言葉を 記すことにしました
子どもの命を守りはぐくむこと これを阻む 理不尽な動きには 学び 訴え 協同し 行動していく
このことを理念としてもつ 我が社会福祉法人「厚生館」の 職員として 施設長として
また これまで 多くの保護者と たくさんの子どもたちに
輝くいのちのすばらしさを 日々の中で 教えてもらった 一人の保育者として
あらためて訴えたい 伝えたい
憲法を守ろう いのちをはぐくもう
戦争につながる動きに ノーの行動を示そうと
七月二日 ひらお保育園 園長 田中雄二
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集団的自衛権は他人のけんか買うこと 元自衛官、平和を説く
2014年7月28日 (東京新聞から)
集団的自衛権に反対する泥憲和さん=兵庫県姫路市で
「集団的自衛権は他人のけんかを買うこと。逆恨みされますよ」。神戸市の街頭での泥憲和(どろのりかず)さん(60)=兵庫県姫路市=の「叫び」が、インターネット上で広がっている。四月にがんで余命一年と宣告された元自衛官。集団的自衛権の行使容認が閣議決定される前日の六月三十日、マイクを握った
初対面の若者たちに交じり、解釈改憲反対のビラ配りを手伝っていた。聞こえてくる演説を「分かりにくい」ともどかしく感じた。話が途切れた時、たまらず「ちょっとしゃべらせて」と、頼み込んだ。
街頭にて
*****
突然飛び入りでマイクを貸してもらいました。
集団的自衛権に反対なので、その話をします。
私は元自衛官で、防空ミサイル部隊に所属していました。
日本に攻めて来る戦闘機を叩き落とすのが任務でした。
いま、尖閣の問題とか、北朝鮮のミサイル問題とか、不安じゃないですか。
でも、そういったものには、自衛隊がしっかりと対処します。
自衛官は命をかけて国民をしっかり守ります。
そこは、安心してください。
いま私が反対している集団的自衛権とは、そういうものではありません。
日本を守る話ではないんです。
売られた喧嘩に正当防衛で対抗するというものではないんです。
売られてもいない他人の喧嘩に、こっちから飛び込んでいこうというんです。
それが集団的自衛権なんです。
なんでそんなことに自衛隊が使われなければならないんですか。
縁もゆかりもない国に行って、恨みもない人たちを殺してこい、
安倍さんはこのように自衛官に言うわけです。
君たち自衛官も殺されて来いというのです。
冗談ではありません。
自分は戦争に行かないくせに、安倍さんになんでそんなこと言われなあかんのですか。
なんでそんな汚れ仕事を自衛隊が引き受けなければならないんですか。
自衛隊の仕事は日本を守ることですよ。
見も知らぬ国に行って殺し殺されるのが仕事なわけないじゃないですか。
みなさん、集団的自衛権は他人の喧嘩を買いに行くことです。
他人の喧嘩を買いに行ったら、逆恨みされますよね。
当然ですよ。
だから、アメリカと一緒に戦争した国は、かたっぱしからテロに遭ってるじゃないですか。
イギリスも、スペインも、ドイツも、フランスも、みんなテロ事件が起きて市民が何人も殺害されてるじゃないですか。
みなさん、軍隊はテロを防げないんです。
世界最強の米軍が、テロを防げないんですよ。
自衛隊が海外の戦争に参加して、日本がテロに狙われたらどうしますか。
みゆき通りで爆弾テロがおきたらどうします。
自衛隊はテロから市民を守れないんです。
テロの被害を受けて、その時になって、自衛隊が戦争に行ってるからだと逆恨みされたんではたまりませんよ。
だから私は集団的自衛権には絶対に反対なんです。
安倍総理はね、外国で戦争が起きて、避難してくる日本人を乗せたアメリカ軍の船を自衛隊が守らなければならないのに、いまはそれができないからおかしいといいました。
みなさん、これ、まったくのデタラメですからね。
日本人を米軍が守って避難させるなんてことは、絶対にありません。
そのことは、アメリカ国防省のホームページにちゃんと書いてあります。
アメリカ市民でさえ、軍隊に余力があるときだけ救助すると書いてますよ。
ベトナム戦争の時、米軍は自分だけさっさと逃げ出しました。
米軍も、どこの国の軍隊も、いざとなったら友軍でさえ見捨てますよ。
自分の命の方が大事、当たり前じゃないですか。
そのとき、逃げられなかった外国の軍隊がありました。
どうしたと思いますか。
軍隊が、赤十字に守られて脱出したんです。
そういうものなんですよ、戦争というのは。
安倍さんは実際の戦争のことなんかまったくわかってません。
絵空事を唱えて、自衛官に戦争に行って来いというんです。
自衛隊はたまりませんよ、こんなの。
みなさん、自衛隊はね、強力な武器を持ってて、それを使う訓練を毎日やっています。
一発撃ったら人がこなごなになって吹き飛んでしまう、そういうものすごい武器を持った組織なんです。
だから、自衛隊は慎重に慎重を期して使って欲しいんです。
私は自衛隊で、「兵は凶器である」と習いました。
使い方を間違ったら、取り返しがつきません。
ろくすっぽ議論もしないで、しても嘘とごまかしで、国会を乗り切ることはできるでしょう。
でもね、戦場は国会とは違うんです。
命のやり取りをする場所なんです。
そのことを、どうか真剣に、真剣に考えてください。
みなさん、閣議決定で集団的自衛権を認めてもですよ、
この国の主人公は内閣と違いますよ。
国民ですよ。
みなさんですよ。
憲法をねじ曲げる権限が、たかが内閣にあるはずないじゃないですか。
安倍さんは第一回目の時、病気で辞めましたよね。
体調不良や病気という個人のアクシデントでつぶれるのが内閣ですよ。
そんなところで勝手に決めたら日本の国がガラリと変わる、そんなことできません。
これからが正念場です。
だから一緒に考えてください。
一緒に反対してください。
選挙の時は、集団的自衛権に反対している政党に投票してください。
まだまだ勝負はこれからです。
戦後69年も続いた平和を、崩されてたまるもんですか。
しっかりと考えてくださいね。
ありがとうございました。
集団的自衛権行使容認には反対です。 2014/07/29
鎌田慧氏のコラム。今の政府の敵は自国の国民だとしたら、背筋が凍る。しかし本当かもしれない。
さまざまな意見や考えがあると思います。
でも、私はやはり、憲法9条こそ今日本が守るべきものと思います。
わかりやすい記事を以下に掲載します。
私自身、忘れないために。
些細なことですが。 2014/07/31
夏の花といえば、ノウゼンカズラ
思いがけず、大きな案件が重なってしまって慌てているこの頃なのですが、その割にはゆらりゆらりと毎日を過ごしております。
そう努めていると言ったところでしょうか。
今年から職場と家が近くなったので、車通勤から徒歩になりました。ダイエットにはもってこいだと思ったのですが、近すぎてあまり効果はありません。
それでも、車からと歩く目線とでは全く違っていて、小さいながらも日々、発見の連続です。
いつも通る公園、この間大きな機械音がしてると思ったら、草刈したんだな、とか、
この時間になると、影はこっちの方に伸びるんだ、とか
○○さんとこの、ブラックベリー、この間まで、たわわに実っていたけれど、すっかり摘まれてしまったから、奥さんが今頃ジャムを作っているのかしら、とか
信号待ちで、プールバックさげた子供たちがわいわいがやがや、額に汗した日焼けした顔、濡れたポニーテール、ふと昔の息子や娘の顔を思い出したり、
いつもはスーパーの一画のクリーニング店を利用していたのだけれど、通り道の個人商店に替えてみたら、店頭の女性、どこかでお見かけしたような気がしたり、
ちょうど行き合った移動パン屋さんから、お昼のパンを買ってみたり。
他愛のない、些細なことでも、へーと驚きながら過ごしています。
夏空の下、日傘をさして、てくてく歩く、
トースターのレベル3の状態にこんがり焼けてしまって、これだけは少々こまりものです。
キーワードは「見守る」 2014/08/09
kaiちゃんにも見守られています。
半年ほど前であったか、Crossroadという番組で矢野顕子さんの特集を観ました。
ニューヨークに猫と一人暮らしの彼女、音楽だけでなく生活のすべてのことに情熱を持って過ごしている様子に、感銘を受けました。もちろん、ライブも曲作りも精力的にこなす、いつも笑顔を絶やさず、 本当に素敵な方でほれぼれ、
私と同世代の彼女、私もあんな風に生きられたらいいなあとつぶやいたら、
言われてしまいました。
「いえいえ、そんなに頑張らなくっていいんじゃない?」
そうだ、そうだよね、私は矢野顕子さんじゃないものね。
誰かのようにっていうのは、無理なのです。
そう言われて、むしろほっとしてしまった私、そうか、頑張って誰かみたいになろうと思うのがそもそもの間違いだと気付きました。
誰でも、自分を変えて、新しい自分になりたいと思うことがあります。
誰かのようになりたいと憧れる。一方、滑稽な自分に嫌気がさす。こんな自分から逃れたいと思う、こんな自分は消してしまいたいと悩む。
でも、それだけを考えていたら、毎日が真っ暗でしょう。
好きな自分もちゃんといるから、気持ちが紛れ、明るくなれるのだと思います。
では、嫌いな自分、惨めで、恥ずかしくて、醜くて、滑稽なだらしない自分はどうするか、現実にはその自分も捨てることはできません。
さて、掲題の「見守る」の言葉、今までは消極的な言葉で好きではなかったのだけど、 つい先ほど読み終えた平野啓一郎氏の「空白を満たしなさい」から、これだと思いました。
そういう負の自分を消すことはできないけれど、「見守る」ことが生きる道なんだと教えられました。
そう、「見守る」がキーワード。
好きな自分を見つける、自分の一部分だけでいいから。そして、他の嫌いな自分のことは「見守る」ことにしましょう。
自分にも思いやりを持って、やさしく「見守る」なら、他人をも広く許容できるようになるのではないでしょうか。
「見守る」が秘訣なんて、大きな発見でした。
落ち込む日 2014/08/23
一番の励ましはkaiちゃんの笑顔。 kaiちゃん、助けてくれる?
失敗した、やらかした!
たぶん5年に一回の大きな失敗だ。
えっ、そんなに何度も失敗しているのと思ってしまいますが、確かに、そんなにと言う気もしないではありません。
その中には、不可抗力と言うこともままあったのですが、
今回の失敗は、本当に100%自分のせい、言い訳無しで、大反省しています。
忙しい最中の大失敗、追い打ちをかけられてしまいました。
ついつい、悲観的になって
この先の自分の身の振り方とか、真剣に考えてしまうのです。
どこか、逃げる場所はないのだろうか?
今まで失敗をしても、それを取り繕うことだけはしないで来ました。
誤魔化さず誠実に対応することが結局は後に繋がるのだと自分に言い聞かせて来ましたが、正直、負けてしまいそう。
弱音を吐く週末になりました。
やれやれ、むしろ早く月曜日を迎えて、思いっ切りのお叱りを受けたいと思うのです。
すっかり秋なのに 2014/10/17
夏ハゼがもうこんなに色付いています。
この3カ月、まるで馬車馬のようにわき目も振らず一心に働いています。
額に汗してと言うより、額に冷や汗かきながら(笑)
なんにしても、この忙しさもいずれ終わりになります。
ずっと続くわけではないから、今はこぴっと頑張るぞと自分を励ましていますが、すっかり息が切れてしまいお休みしたいです。
kaiちゃんだって、いい加減にしろって言いたいと思う。
だって、どこにも遊びに行けない夏を過ごし、秋を過ごし、もうすぐ冬だもん。
ところで、馬車道ってファミレスがあるでしょ。昔、馬鹿な私はそれを間違えて「馬車馬に行って来たの」と話したら、それって「馬車道でしょ」と大笑いされて、と言うかひどく馬鹿にされて、それ以来、馬車馬と言う言葉は私の中でイタリアンの香りがするのであります。どうでもいいことだけど。
さて、少し終わりが見えてきたこの頃です。
もう次の波が待ち構えているのですが、それでも今回のように寝食を忘れるほど翻弄されてしまうことは無いでしょう。
それもこれも、みんな自分の至らなさが原因です。スケジュール管理や見込みの甘さであったり、それとついついOKしてしまう自分の弱さ、だから文句は言えません。
ドッグランにもビブリにもずっと行かれずにいます。お友達にもご無沙汰してしまっています。
でも、あと少しで解放されますから、それまでごきげんよう!
素晴らしいと言えるように 2014/10/23
素晴らしき人生のひとこま
「フランス人は2階の窓から人生を眺める」と、かつて映画評論家の淀川長治さんが仰っていたのをよく覚えています。
たぶん私は小学生だったと思いますが、フランス映画のようにお洒落で、大人の感じがして素敵な言葉だなあと思ったのでした。
随分、おませな子供ですよね。いえ、子供子供とは言え、しっかりそんな言葉も受け止めることができるものなのです。
その後、中学生になった私は、フランソワーズ・サガンに没頭して行くことになるのです。
さて、果たして、今、自分の人生を2階から眺めるように感じることがあります。
困難なことに直面しても、ふいに他人事のようにこれからどう展開するのか、興味しんしんという風にまるで傍観者の自分がいます。
渦中にいる私ともう一人の観客である私が、物語を作っていくようなものです。
観客の私は、右往左往している主人公の私にやきもきしつつもそっと見守るだけ。
今までだって予期しない事ばかりだったのだから、これから、どんなことが起きるか、楽しみでもあり、不安でもあり、それでもしなやかにさりげなく、冷静な自分を観客にして、過ごして行こうと思っています。
ありふれたささやかな人生ですが、映画を観るように楽しんで、そして、最後には素晴らしい人生と言えるようになりたいものです。
そんなことを思い巡らしながら、今日を過ごしました。
勤労感謝の日 2014/11/23
ずっと仕事仕事に追われて、休みなく働く内にどうやら厄介な病気にかかってしまったようです。
その名も「仕事しなくちゃ病」
やらなければならない事が山積していると、ついつい「それどころじゃない」と思い詰めて、休みを取らなくなってしまうのです。
「仕事しなくちゃ病」、相当、まずいと思っています。
無理でも休まないと、思考も働かなくなり、判断力も鈍ってきます。よっていい仕事ができないと言うことになります。
結局、「仕事しなくちゃ病」はもしかしたら単なる自己満足、利己的な自分がそこにでーんと居座っているのだとも思うのです。
じきに、本当はそれほど忙しくないはずなのに「しなくちゃ病」なので、休むことができなくなってしまいます。仕事仕事に追われていると思い込んでいる人たち、私を含めて、抜け出さなくっちゃですね。いつの間にか、それが習慣になっているので、意外にそこから脱出するのは、大変ですけれど、でも抜け出さないと後でもっと後悔することになります。
大体、休みなく働くなんて、利口な人のやることではないです。
神様が人に安息日を義務付けたのは、実に合点が行きます。
体も心も休ませること、安息日は人のためにあるのです。
と言うわけで、「勤労感謝の日」を含めたこの3連休、できるだけ休みます。
昨日は久しぶりにレッズ戦、観てきました。歓喜に終わることはありませんでしたが、秋の日差しが眩しすぎる最高のお天気の下、前から9列目と言うすごくいい席で、久しぶりにレッズの応援に鳥肌立ちました。
そして今日は、小平に出かけて、帰りには久しぶりにいつものドッグランに行こうかな。
kaiちゃん、喜ぶだろうな。
天は二物を与える 2014/12/23
江國香織と言う小説家、あまり好きではありませんでした。
天は二物を与えないというけれど、まさに彼女は二物も三物も与えられている人と言う気がします。
小説に登場する主人公も皆、なぜか私とは友達になれないタイプ、
まず秀でた才能がある、おまけにきれい(ここ大事)、周囲からは常にご機嫌をとってもらえる女性、自然と甘やかされて育っている人、もちろん、本人はそんなこと思ってもみないでしょうが、冷静と情熱の間の葵はまさしくではないか。
でもこれって、嫉妬なんです。
自分とは別格の魅力ある女性に私は嫉妬しているのですね。
素敵な人だなと思いつつ、なんだか妬ましい感じ。
こんな風に思うのって、あまり心地良くない、切り替えて素直に認めるよう心がけようと思います。
それで結局、江國香織の小説は大好きなのです。
たとえば、僕の小鳥ちゃんとか、本当に好き、そうそう最近読んだ彼女のエッセイ「とるにたりないもの」には感服しました。
ささいな日常のひとこまの中で感じる彼女の感性に、思わず頷いてしまいまいました。そして、的を得た文章のなめらかさ、こんな文章を書けたらどんなにいいだろうと思ったりしました。
本箱を探してみたら、ありました。いつのまにかたくさんの彼女の本が、ほら、あなたは私がこんなに好きと言わんばかりに。
あ、彼女と私の共通点が1つ、お風呂好きなことを思い出しました。
何か考える時はバスタブで。
だから、彼女のこと、ちょっとわかります。
打ちのめされる 2015/02/02
夕べはあまりにも惨いニュースになかなか寝付くことができませんでした。
そして今日は、ずっと後藤健二さんのツイッターを読んでいました。
今、この平和と言える日本でのうのうと生きている私、世界はもう戦火にあるというのに。
第三次世界大戦はもう始まっているのかもしれません。
私に何ができるか、まずは、絶対に無関心にならないこと、そして考えたい、且つ考えるだけでなく実行しなくてはだめだ。
---ジャーナリスト 後藤健二さんのツイッターから---
「そう、取材現場に涙はいらない。ただ、ありのままを克明に記録し、人の愚かさや醜さ、理不尽さ、悲哀、命の危機を伝えることが使命だ。でも、つらいものはつらい。胸が締め付けられる。声に出して、自分に言い聞かせないとやってられない。」
2010年12月2日
「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。」
2010年9月7日
「はじめまして。僕たちも大きな地図というか地球儀を作ろうとしているんですよ。親しい者同士かは全くわかりませんが、地球という星の上に自分が居て、彼らもいる-そのことを知るきっかけになってくれると思います。」
2010年4月19日
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後藤さんのご冥福を心からお祈りいたします。
彼の遺志が世界中の人々に受け継がれて、一日でも早く平和が訪れますように。
今、苦しんでいる人々がとりわけ子供たちが1分でも早く解放され、救われますように。
一匹の羊を捜しに. 2015/02/08
後藤健二さんはISILに拘束された湯川遥菜さんを救出しに、無謀にも危険な本拠地ラッカに入って行き、最終的には二人ともが殺害されてしまいました。
自身の命も顧みず、なぜ、後藤さんはそうまでしてラッカに向かったのか、どうしても疑問でした。
しかし、先日の東京新聞の佐藤勝氏のコラムを読み、その答えが分かったと思いました。
以下は引用です。
--
イエス・キリストは九十九匹の羊を残してでも、迷った一匹の羊を捜すべきだと言った。「イスラム国」に湯川遥菜さんが捕えられたとき、誰も本気で彼を助け出そうとしなかった。「誰もやらないことならば、君がやらなくてはならない」という神の声が後藤氏に聞こえたのだと思う。
--
神の声が聞こえたなんて、いくらなんでもそれはないだろうと思われるかもしれませんが、氏の推測は当たっているのではないかと思うのです。
クリスチャンであった後藤さん、ラッカに向かったのは、ジャーナリストとしてだけでなく、むしろ一人のキリスト者として行動したのではないでしょうか。
当然死を覚悟してのことであったでしょう。
一匹の羊を助けることとはそういうことなのだ、止むにやまれぬ気持ちで捜さずにはいられない、そんな湧きあがる思いとゆるぎない信仰に突き動かされてのことであったのではないでしょうか。
自分の命を差し出してまで、信念を貫いた彼は、最後まで本当に立派だったと思います。
そして、これからは別な形で仕事を続けていくのでしょう。
クリスチャンにとっては死は終わりではないからです。
これは自分のために 2015/03/31
フォーラム4の古賀茂明氏より
「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。
そうしたことをするのは世界を変えるためではなく、
世界によって自分が変えられないようにするためである」
マハトマ・ガンジー
春だもの 2015/04/06
そろそろ、日傘や帽子の必要な季節ですね。
日差しが背中に暖かく感じる一方、日の光の眩しさに目がしぼんで眉間のしわが気になるくらいです。
陽光の下だと、テンション上がります。やはり、人も自然の生き物なのだなあと実感します。
厚いコートを脱いで、春のおしゃれができるのも嬉しく、着るものが変わると気持ちまで明るく軽くなった気分になれます。
もうこれ以上は洋服は買わないと決めたはずなのに、新しい服が欲しくなってしまい、気持ちを抑えるのにひと苦労です。
車通勤から、歩いて職場に通うようになっていろいろな景色が目に入って来るようになりました。近くの雑木林を行くと、大好きなヤマブキの花も満開になり、樹々は若芽が芽吹いて生き返ったよう、鳥達の鳴き声は騒々しいほどです。
年度替わりの時期とはいえ、特に変わり映えのない日々ですが、春には何か楽しいこと、新しいことを計画したくなります。
時間が経つのが驚くほど早く感じる今日この頃、朝も昼も夜もすぐに過ぎ去ってしまい、1週間も1ヶ月もあれよあれよという具合に過去のものになって行きます。
生真面目な私(見かけだけ)は、これではいけない、もっと有意義に過ごさなければと力が入ってしまうのですが、それこそが私の欠点かもしれません。肩の力を抜いて、今のこの時を楽しむ方がよほど有意義と言うものです。
はてさて、とりとめのない「ひとりごと」をまた呟いてしまいましたが、実はここ数か月、世の中のさまざまなニュースや情報に翻弄されて、少々気が滅入っておりました。知らぬ間についつい、しかめっ面をしていたかもしれません。
思いっきりの伸びをして、顔を上げ、ついでに口角も上げて、にっこり笑ってみました。
楽しいこと、考えましょう、だって春だもの。
そうだ、今週は久しぶりの友人と一緒に食事の予定があるのだった。楽しみ楽しみ。
週末は、いつものドッグランのライブに行く予定、そろそろkaiちゃんと野山に出かけて行きたいし、旅行の計画も立てなくちゃ、気付いたらなんだかやることたくさんなのです。
楽しみは自分で作っていかなくてはと思うのでした。
春春春と言ってる間に、すぐに夏になってしまうから。
まあ、言う割には焦りもせず、ぼんやり過ごしていますけどね。
村上春樹氏のインタビュー 2015/04/18
このところ、
「村上さんのところ」
の期間限定サイトで賑わせている村上春樹氏。
三万通以上もの読者からのメールを読んで、且つ返事を書いているというのですから驚きです。
もっと早く知っていたら出したかったのにと思っているのは、私だけではないでしょう。
テイストは以前にあった「そうだ、村上さんに聞いてみよう」や「ひとつ、村上さんでやってみるか」とかと同じようなのですけど、以前のは300や400の数だったけれど3万通とは!
そして、物凄いスピードで村上さんは読んで返事を書いているようです。本当にどんどん追加アップされていますから。
ラリー・カールトンが入っていた頃のクルセイダーズがすごく好きだったとか、ボブジェームスも良く聴いていたとか、あっやっぱりね、目玉焼きは黄身を溢れさせて、最後はトーストできれいにすくって食べるとか、あれ、私も!などと、一人くすっと笑ったり、にやにやしたり。
一方、原発についての一貫した考えをも掲載しています。
http://www.welluneednt.com/entry/2015/04/03/173000
http://www.welluneednt.com/entry/2015/04/09/073000
先日、東京新聞に氏のインタビュー記事が掲載されていて、非常に興味深く読みました。
アメリカのタイム紙の「世界で最も影響力のある100人の人物」の2015年版に村上春樹氏が選ばれています。
これから、どんなアクションを氏が起こしてくれるか、氏の言動に注目して行きたいと思います。
私の朝 2015/04/23
kaiちゃん、おはよう。
朝起きて、出かけるまで私には3時間が必要です。
何故にそんなに?
事実、やることがたくさんあって、それでも足りないくらいなのです。
目覚めたら、まずはPCを立ち上げてちょっとだけ仕事、顔を洗って、ここで30分経過、kaiちゃんのお散歩45分、お掃除やら洗濯など家事に45分、身支度に30分、そして朝食を取りながら新聞に目を通します。
あっと言う間に3時間経過です。
今朝は簡単にコーヒーとトーストの朝食でした。
ところで、トーストのバターの塗り方は、みなそれぞれですよね。
私はこんがり焼いたトーストに、じわーっとバターが溶けて、でも溶けていないところが微妙に残っているのが好きなのです。
だから、バターの厚いところと薄いところがあるように、わざと無造作に塗ります。
でも、これが嫌いな人もいます。
我が家の子供たち、朝、トーストにバターを私が塗って差し出すと、気に入らないらしい、きれいに均等に美しく塗られていないといやなのだそうです。
と言っても、それを知ったのは随分後になってから。
忙しい朝にそんなことをぶつぶつ言ったら、ママに叱られちゃうから、いやいやでも、やれやれ、またかと思いながら食べていたのでしょう。
トーストを食べるたびに思い出すのは、昔近所のスーパーに入っていたパン屋さん(名前知らず)の食パンです。
もちもちのパン、本当に美味しかったのです。
カリッと系ではなくて、ふわっとしっとり系のパンです。
でもある日立ち寄ったら、お店が無くなっていました。悲しくてスーパーの人に尋ねてみると、ご主人が体調を崩して廃業されたとか、、、
10年以上経った今でも、残念で残念で仕方なく忘れられません。
あのパンを知っているので、他の食パンを食べても満足が行くことはありません。
バゲットやカンパーニュやエピなどのフランスパンも大好きです。
でも最近、口の中が痛くなるほど、食べ過ぎてしまったので控えています。
常に冷凍庫に用意していたのですけど、何事もほどほどにということです。
話が横道に逸れてしまいました。
とにかく、朝3時間を確保するには早起きしなければなりません。
それができなくて、毎日が自己嫌悪の日々です。
早起きは三文の得と言われているように、早起きができる人はさぞ得をしているのであろうと思うのですが、単に意志が弱いのか、昔から本当に苦手です。子供の頃からずっと試みて失敗を繰り返しているのですから、今更克服しようなんて思わず、諦めた方がいいかもしれません。早起きこそが人生の勝利の秘訣などと大きな声が聞こえてくると、ため息が出てしまいます。
でも、目覚めてもベッドの中でぐずぐずしている時間、あの時間は捨てがたいです。微睡んでいる心地良い感覚を捨て去って、ばっさり起き上がってしまったら、一日中、気分が優れません。その無駄にも思える時間に随分いろいろなことを思い巡らしています。
私の一日の始まり、大切だからこそ、朝はゆっくり起き上がることにします。
とは言え、明日からは、いいかげん、今より30分早く起きようと決断したところです。
薪能 2015/05/22
毎年催される大宮の氷川神社の薪能、いつかは観に行きたいと思っていました。
知人からどんなに素晴らしいかと聞いたのは、もう何十年も前のこと、今年は34回目と言うことですから、始まった頃のことだったのかもしれません。
興味を持ちつつ、ついつい毎年見過ごしてしまっていましたが、今年とうとうその機会に恵まれました。
第34回大宮薪能(武蔵一宮氷川神社)
演目
素謡(金春流) 翁(おきな) 金春安明
能 (金春流) 敦盛(あつもり) 本田光洋
狂言(和泉流) 痩松(やせまつ) 野村万作
能 (宝生流) 葵上(あおいのうえ) 藤井雅之
昔の日本人はなんと驚くべき美学を心得ていたものだろうかと思います。
能で人々が受け継いで来たのは、勝ち戦の物語ではなく負け戦、またはそこで生じた後悔や無念の情、悲哀であったのだそうです。それを聞いて、なるほどと感慨深いものがありました。
影の部分にスポットを当てて、そこにいる人々の情感に思いを馳せるとは。
「敦盛」は平家物語の一場面。わが子と同じ十六歳の平敦盛を手にかけ、それが元で出家した熊谷直実(後の蓮生法師)、戦場だった一の谷で直実が読経していると敦盛が亡霊となって現われるという物語です。
織田信長が今川氏との決戦前夜に
「人生五十年。化天の内にくらぶれば。夢まぼろしのごとくなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか」と舞ったことで有名です。
決戦前夜であれば、勇ましい謡を披露するであろうに、「敦盛」を舞うとは、驚きます。
「敦盛」を観ながら、松尾芭蕉の俳句「夏草や兵どもが夢の跡」を思い出しました。
若くして戦に果てた敦盛、敦盛を打ち取ったことで出家した直実、それぞれの謡は胸にせまるものがありました。
アツモリソウ、クマガイソウは二人に由来する草花であると初めて知りました。
狂言「痩松」の可笑しさに声を立てて笑い、能「葵上」では生霊となった六条御息所の迫力と妖艶な美に引き込まれました。
それぞれまとう衣装も煌びやかで美しく、本当に日本の美を感じさせるものでした。
「能」は想像力を掻き立てる芸能と言います。
謡の言葉ははっきり言って、初心者の私には多くは聞き取れず、意味もおぼろげにしか理解できなかったのですが、3時間半もの長丁場にもかかわらず、全くその長さを感じずに浸ることができました。
薫風が吹きわたり、群青の空には三日月と星がくっきりと浮かんでいました。
かがり火の炎に照らされ、厳かな中に繰り広げられる舞台はやはり幽玄と言う言葉が相応しく思いました。
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