kaiだらけでごめん 海ちゃんのお気楽生活
>>ひとりごと
9 ページ (1-16)
前ページ次ページ12345678910111213141516

大きなテーブル 2012/09/23
家具の一つ一つには思い出と歴史が刻まれていますが、その理由からこの大テーブルは捨てることができません。

若かった私たちが、大枚はたいて買った檜のテーブルと椅子。
本当はこの倍の厚さのテーブルが欲しかったのだけれど、さすがにその時の私たちには手が届きませんでした。
このテーブルで、家族での食事を何千回したことでしょうか。
食事だけでなく、勉強したり、絵を描いたり、
買ったばかりの頃、息子だったか娘だったか、宿題で社会のプリントに答えを書いていたら、柔らかな木のため、筆圧で全部、下に写ってしまったことでびっくり、私にごめんなさいって謝って報告してきて、大丈夫、大丈夫って笑ったこともあり、その答えも年月と共に他のキズと混じってわからなくなりました。

数日前、なんか汚れているねって、息子が楽器用のオレンジオイルで拭いてくれ、それでもなかなか落ちない汚れは楊枝とキッチン洗剤を使い、楊枝はキズの中に入り込んだ汚れを取るためですが、随分すっきりしました。
ひどいキズだらけでも、それを愛着に変えてくれるところが木の力ですね。
誰よりも家族のことを見てきたのが、このテーブルかもしれません。

今は1人で食卓に座ることが多くなりましたが、まだまだこれからも使い続けます。
1人での食事もこのテーブルなら、楽しい気持ちになりますから。
10月 2012/10/23
同じような毎日の暮らしですが、たまに、はっとする光景を見つけることがあります。
例えば、ある朝、テーブルに置いた花瓶の花、朝日に影が伸びていて、見惚れてしまいました。
ちらちら揺れるその影はほんの数秒の後には、ぼんやりとしたものに変わり、しだいに消えてしまいましたが、その場に居合わせたことは幸運でした。
身の回りには、些細ではあるけれど、感動できることが多くあって、それら一つ一つを見逃さずに過ごしたいものだと思います。

さて、10月は私にとっては、重い月、しっかりと自分を見つめ直す月と決めています。
立ち止まって、耳を澄まし、辺りを見渡し、進む道を確認しなければなりません。
夫が遠くへ行ってもう7年が過ぎ、なるほどkaiちゃんも8歳、私も年を取るはずです。
悔しいのは、写真の彼が一向に年を取らないことです。
私は益々皺が増え、髪は白くなると言うのに、その不公平なことに、思わず不平を漏らしたくなります。

それでも、この7年、元気に平穏な日々を過ごせたことを振り返り、家族にも周囲の方々にも、遠くで見守ってくれているであろう彼にも、心から感謝せざるおえません。何はともあれ、これからもさりげなく、いつも笑顔で暮らして行こうと改めて思っています。
一人山歩きwithワンコ 2012/11/08
加藤文太郎の単独行 新田次郎の「孤高の人」とは少し違う文太郎に出会いました。

年に数回ではありますが、犬連れで(kaiと一緒に)山歩きをしています。
犬連れ登山と言えば、賛否両論あって、生態系を崩すなどの理由から絶対反対を唱える方もいます。ここでは、特にそれについての意見を述べることはしませんが、しごく当然のことながら、私なりにルールをいくつか決めていて、まずはkaiを連れて行くのは低山に限るとしています。私のラインとしては、1500m前後までが望ましいと思っていますが、地域によっても異なりますから一概に決め付けることはできません。

それと、これも当たり前のことですが、決してオフリードにすることはありません。万一のこと、例えば小動物が飛び出したり、予期せぬことが起きないとも限らないので、それに犬が苦手の登山者もいますし、誰もいないと思っていても、ふいに登山者に出くわすなんてこともあり、急に大型犬が飛び出して驚かすことの無いように、どんな場所であってもリードはしっかり持っています。
だから、伸縮式リードはとても助かります。特に下り坂の時には、うまく使うと非常に有効です。ただ、その伸縮式リードの綱が細すぎやしないかと言うことが気になると言えば気になっているのですけれど。

kaiと私の二人連れと言うことは、要するに単独行となり、これまた賛否両論です。この頃は、遭難救助の立場から単独行を止めるように呼びかけていると聞きますが、リスクがあることは承知していても、なかなか単独行者は減らないそうです。
私の場合は、単独行と言う言葉から感じられるような大それたものではなく、一人山歩きと言ったところなのですが、それでも登山であることに違いはなく、単独行に加えて犬連れともなれば、リスクは倍増ですね。

だから、山行を計画したらとにかくとにかく調べまくります。
もちろん、鎖場、はしご、岩場はNGです。犬は苦手ですから。
一緒に行く犬が楽しんでいなければ、意味が無いですし、危険に遭わせないようにするのは飼い主の責任ですから、無理は禁物です。

行く山が決まったら25000分の一の地図を手に入れて、ルートの確認を怠りません。
「山っぷ」という地図を国土地理院の地図センターからダウンロードし、A3用紙2枚に分割して印刷すると丁度良い具合です。
低山でこそ最も怖いのは道迷い、実際山で何度かひやっとしたことがあり、そこで今更ですが、地図とコンパスの使い方を学ぼうと、のめり込んでいます。
地図を読めない女を代表するような私であっても、山歩きを楽しみたいのであれば必須だと思うようになりました。
よく知られている山であれば指導票も多く立っているし、ルートもしっかりしているので、歩行中に地図を取り出す必要さえないかもしれませんが、それでも万一に備えて地図とコンパスは必携でしょう。

登る山の情報をばっちり頭にたたきこんで、装備を点検したら、最後に、山登りの前は必ず家族にどこからどの山へ登るかメール送信、下山後には無事に下山したことを連絡するようにしています。

なんて、さも用意万端整えているようですが、肝心なのは、私がバテないこと、これが難しいのだ!
日頃の運動不足を痛感させられっぱなしで、いつもkaiに励まされ、連れて行かれている私なのであります。この間も戻ってから3日間は筋肉痛でひょこひょこ歩いている始末、情けないです。

でもね、それでも山歩きは楽しい、大層辛いのに、それでも止められない。
なので、できる限りの安全登山を心掛けて行きますので、これからも当分は「女一人 with ワンコとの山歩き」、認めてくださいね。(家族へ)
単独行が無理だなと感じたら、その時は私が山登りをあきらめる時と思っています。
春なので 2013/03/06
髪を切りました。
今までのほとんどの人生をロングヘアで過ごして来ました。
一度だけベリーショートにしたことがあったけれど、あまりの似合わなさに、
ものすごく後悔して、その時、決心しました。
「これから先、絶対に髪は肩より短くは切らない」

ヘアスタイルを決めるのに、ヘアカタログをインターネットで探し、10パターンほど印刷して周囲に相談してみました。
ごめんなさいね。他人の髪型なんてどうだっていいのにね。
親身になって考えてくれてありがとう。

さて、どれが、一番似合いそうか。
私の心の中では、思い切って決まりを破って、ショートボブに決めかかっていたのですが、
みんながみんな、ミディアムレングスの可愛らしい髪型のその一枚を選んでくれたのでした。
別々に相談したのに全員一致、やっぱりこれかって感じでした。
本当は、私もこれがいいなあと第一番には思ったのですが、
さすがにこの歳になってという感じで、 気後れしたので選ばなかったスタイルです。

危うく、ショートヘアにしてしまうところでしたが、
せっかく選んでもらったのだから、そのスタイルシートを持って、美容院へ行って来ました。
自分ひとりで決めてしまわないで良かったです。
自分らしさって、わかっているつもりでも、
実は他人の方がより的を得ているものなのですね。
客観的な意見を聞くって大事です。おかげで、違和感なく、自然な感じに仕上がりました。
それなりに私らしくです。

肩より短くはなりませんでしたが、
ふんわり髪も軽くなり、
おまけに新しいアイシャドーとネイルエナメルを買って、
それだけで、うきうきな気分の今日この頃、春の日です。
もはやムラカミフリークではありません 2013/04/12
私にとってのベストは「羊をめぐる冒険」

正直、1Q84を読んでから、もう彼の作品は読まないだろうと思いました。
上中下の長編を、読み進める内に投げ出したくなりましたが、それでも読み終えたのは、これで終わるはずが無い、きっと何か響くものがあるはずだと期待していたからです。
しかし、読み終えて、正直、失望してしまいました。
奇をてらった設定や物語の節々は刺激的ではあるのだけれど、示される暗示的な事象に深い意味を見出すのは難しく、強烈に引き付けられる言葉も見つけられず、結局ストーリーもしり切れていたから。
何より、魅力的な人物はそこには登場しないことがとても残念でした。
これはすべて私にとってと言うことで、要するに、より前衛的になって行く村上氏の作品に、私が付いて行けなくなったと言うことに過ぎないのでしょうが。

3.11の後、原発を容認して来た日本人全体をあれだけ批判したのに、その後の村上氏の言動は伝わって来ません。
多くの時間を外国で過ごしながら、遠くから日本をどう眺めているのかなあなんて思ってしまいます。
実は過度の期待と分かっているのですが、この2年の間、何かのアクションを起こすなり、メッセージを発するなりして欲しいと願っていたからです。

今日、村上春樹の長編小説[色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が発表されるとメディアは大騒ぎです。しかし、1Q84で彼から離れてしまった読者も多いのではないかと私には思えてなりません。
何も、そんなに大騒ぎをしなくてもいいのでは?
他にも評価に値する作品はいくらでもあるのにと思います。
今は商売上手の村上春樹と言われても仕方の無いことのように映ってしまいます。
が、しかし、私もこんなことをここに書いているくらいだから、踊らされているのかもしれませんね。
今、夢中なのは 2013/04/15
ヴァイオリン協奏曲 作品61が現在の私の夢中の源

休日の愉しみの一つはゆっくり音楽を聴くことです。
朝、目覚めたら、いの一番にアルバムを選んで針を乗せます。

さまざまなジャンルの音楽を聴きますが、ここ数ヶ月はクラシックにはまっています。
ヴィヴァルディに始まってハイドン、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ショパン、ワーグナー、ロッシーニ。
学生の頃に音楽室で聴かされた時にはあんなにも退屈に感じたものなのに、今は奏でられる一つ一つの音が生き生きと迫ってくることに、ただただ驚いています。

それらの音楽が数百年を超えて人々に受け継がれ愛され、いつの世にも計り知れない感動を与える理由は、どこにあるのでしょうか。
そんなことを思い巡らしている内に、「生を肯定しているから」ではないかと思い当たりました。生きていることの歓喜をはばかることなく歌い上げて、聴く者に勇気や希望や愛を存分に浴びせてくれるのです。

とりわけ、私が繰り返し聴いているのがベートーヴェン。
自分でもおかしくなる位に、寝ても覚めてもベートーヴェンの曲が聴きたくて仕方がありません。
あの有名なハイリゲンシュタットの遺書を書き、絶望の淵をさまよいながらも、湧き上がったのは生きていることへの感謝と喜び。
恐れ多いことですが、
「ベートーヴェンさん、ありがとうございます。こんなにも素晴らしい音楽を残してくれて。」と
心から感謝してしまいます。
お気楽ご機嫌で行こう 2013/4/19
楽しいことやいいことについて話そう。
不平や不満じゃなくて、元気が出る話をしましょう。
そう、常々思っているのですが。

でもね、そうは言っても、やっぱり落ち込むこともあるのよね?。
特に仕事の上では、思うように行かないことの方が多いし、やたら横柄で無神経な人間に会うこともあるし、いえ、いやな人と思っても、勝手に私が思い込んでしまっているだけで本当はすごくいい人かもしれないけれど、大体、他人のことをとやかく言えるほど、私もできが良いわけではないし、、、
それに何より、自分の至らなさに嫌気が差すこともあるし、なんだか自分が惨めに思えて、ふーっとため息付いちゃったりすることもあるのです。

だけどだけど、目を閉じて首を振り、ぴたぴたっと頬をたたいて、気を取り直す。
さあ、機嫌なおそうね。
機嫌良く振舞うことで、いつの間にか元気が出て来る感じがするよ。
機嫌って本当に大事です。
機嫌がいいと、自分も周りも明るくなりますよね。
kaiちゃんのように、いつもご機嫌さんで過ごすのが幸せへの一番の近道のような気がします。
フランシス・ベーコン 2013/04/28
フランシス・ベーコンと聞けば16世紀のイギリスの哲学者を思い浮かべてしまうのですが、先日、アイルランドの画家であるフランシス・ベーコンの展覧会へ行ってきました。ベーコンは、ピカソと並んで20世紀を代表する画家、なのに、私は知りませんでした。

竹橋で仕事の打ち合わせがあったので、その帰りに開催中の東京国立近代美術館に立ち寄りました。何の知識も無く、会場に入り、目に飛び込んで来た絵を見るなり、強烈なショックを受けました。実際、私の後ろに続いて来た女性は、「わっ、すごい」と口に出して小さく叫んでいました。

絵が発する凄まじい不安感と嫌悪感、謂われの無い絶望感に圧倒されて、すぐさま、私はこの展覧会に来たことを後悔し始めました。
亡霊のような顔の不気味に大きく開けた口からは、今にも狂気の叫び声が聞こえてきそうです。体を二つに折り曲げうなだれている女性らしき人物からは、悲痛なうめき声が漏れてきそうです。

壁に掲げられたベーコンの言葉は強烈でした。
「17の時です。はっきり覚えています。舗装道路に犬の糞があって、それを見ているうちに突然思ったのです。これだ、人生とはこういうものだ、と。おかしなことですが、それから数カ月間悩みました。そして、言ってみれば、事実を受け入れたのです。自分は今ここにいるけれど、存在しているのはほんの一瞬であって、壁にとまっている蠅のようにたちまちはたかれてしまうのだ、という事実をです。」

その感覚は、ベーコンの作品の根になっているのでしょうか。果たして、ベーコンは死ぬ時までそのように人生を捉えていたのでしょうか。80歳を超えて描いた最後の三幅対からは、複雑過ぎて容易にその意図を掴むことはできませんが、片方の足を死の暗闇に踏み込んでいるような、そしてその事実をしっかりと受け止めているような気がしました。

それほど多くはない33点の作品、晩年の作品になるほど、どろどろした感じは薄れ、シャープ且つドライで洗練されたデザインに変化したように受け取れました。
またベーコンから影響を受けたと言う舞踊家土方巽やペーター・ヴェルツ&ウイリアム・フォーサイスの映像も流れており、それらをも鑑賞して、外へ出た時にはすっかり疲れきってしまっていました。

さて、その後数日が経ち、それらの絵が私の頭から離れてくれないのです。誰にでも、どこか不吉な忌まわしい感情が心の奥深くに眠っているのかもしれません。だから、怖いもの見たさと言ったら変ですが、その絶望と無力感、ひいてはあきらめで固められたような絵を真実として垣間見たくなるのでしょう。

最後に、ひどく散らかった足の踏み場もないようなベーコンのアトリエの写真が大きく飾られていたのも印象的でした。
ベーコン展は強烈な記憶として私の中に残り、おそらく忘れることは無いでしょう。もしかしたら、その記憶は時と共に、その鮮明さを増して行くかもしれません。
人類の英知の結晶 2013/05/08
小学生の頃、社会科で日本国憲法について学んだ時、基本的人権について、戦争放棄について、非常に感動したことを今も忘れません。
子供ながら、なんて美しいんだろう、こんな素晴らしい平和と愛に基づく憲法を持つ日本に生まれて良かった、日本人として心から誇らしく思ったのでした。

最近になって、憲法を改めて読んでみると、子供の頃に感じたと同様にこれは真にすごいなあと驚いてしまいます。
東京新聞の今朝の朝刊に憲法76条が規定する裁判官の独立についての記事が掲載されており、元裁判官井戸謙一氏が「憲法は人類の英知の結晶」と述べておられました。私も心からその言葉に同感します。

他国から押し付けられた憲法だから、改正するべきとの意見がよく聞かれますが、もしそうであるならだからこそ、利害を優先するのではなく、正に「人類の英知の結晶」として、日本国憲法が生まれたのではないでしょうか。
押し付け憲法論などで判断するのではなく、内容が良ければ誰が作成したものであれ、それで良しと思うのですけどね。

非常に興味深い記事を見つけたので、以下に挙げておきます。
「憲法9条は,日本側からGHQに押し付けた妙策だった」

現在、安倍首相は憲法改正に向けて、突進しているように見えます。その突破口として96条改正に意欲的です。
自民党草案を読みましたが、国家権力を抑制するのではなく、国民を縛ろうとする恐ろしいファシズム的内容に驚き、戦慄さえ覚えました。

憲法改正に向けて、急に騒がしくなった昨今、しかし、憲法を学習しないままに改正に賛成、反対をかざすことはできません。時代にそぐわなくなったのなら、どこがどのように合わなくなっているのか、焦ることなく考え、議論を交わしていくべきです。
私達の生活に直結すること、未来の子供達に残されること、こんな大切なことを決めるのに、急かされるのはごめんです。
そう言いつつも、私は根っからの護憲派、96条改正絶対反対、9条死守ですが。
改憲バスに乗る前に(江川 紹子)
アンジュール 2013/05/10
孫(孫なんて言うと、自分がすごく年取ったのだと自覚せざるおえないのだけど(汗))のみおちゃんはまだ8ヶ月ですが、もう少し大きくなったら絵本を読み聞かせて上げたくて、この頃、絵本をやたら調べたり購入したりしています。

そんな中、見つけたのがこの本、車から投げ捨てられた犬のお話、
「アンジュール ガブリエル・バンサン作」
文章は無く、鉛筆で描かれたデッサンだけの絵本ですが、読むなり、うっすら涙が出てしまいました。ページをめくるごとに引き付けられて、犬の行く末を思い、どきどきしてしまいました。

ちなみに、アンジュールと言うのは犬の名前ではありません。
原題「UN JOUR,UNCHIEN」ある日一匹の犬が・・・と言う意味だそうです。
真に胸にせまるものがあったので、
どうしても、この本の存在を誰かに教えてあげたくなりました。
What a exciting live it was! 2013/05/10
無事にKraftusのデビューライブが終了しました。
多くのお客様が来てくださって、会場の雰囲気を盛り上げてくれ、演奏もノリに乗って、すごく楽しいライブでした。
ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。
そして、メンバー達、お疲れ様でした。

今までは作曲やアレンジ、MIXなど制作にばかり関わってきましたが、今後は演奏の方にも力を入れたいと本人申しております。
なので、次回もありそうな感じ、、、
1ファンとして、嬉しい限り。

::: Kraftus ::: Live「1st Kraft」@川口Shock on

写真はこちら


#LIVE
#Kraftus
経ってみれば 2013/07/01
--------志茂田景樹氏のツイッターから
‏@kagekineko5月15日
まだ作家生活が不安定だった頃、朝帰りしたら
庭で鉢植えに水をやっていた父がポツリと言った。「人生、経ってみればあっという間だよ」
だから、やるべきことはやっておけ、ということなのか。
2年後、僕の直木賞受賞と引き換えのように父は逝った。
あのとき、僕は父の心を相続したのだ、と今思う。
------------------------------------------

心にぽーっと明かりが点くように感じて、書き留めておきました。
息子を労わる父の心情からふっとかけた言葉、
その後にお父上はどんな言葉を胸に仕舞っていたのでしょう。
苦しみも悲しみも喜びも一瞬のことだと。
だからこそ、今を大事に生きろと。
恐らく氏の感じたとおり、だから、やるべきことはやっておけと言いたかったのでしょうか。

「人生はあっという間」私もこの言葉、自分の息子や娘にかけてあげたいなと思います。
それと、こっそり私自身にも。

では、その一瞬のように過ぎ去る一生でやるべきこととは、私にとっては何だろう。
あなたにとっては?

本当に大事なこと、そんなに多くは無いですよね。
これはと思うこと、それだけは手を抜かずにやっておきましょう。

人生は短い。
だから、些細なことに心を奪われず、無駄なことに囚われず、
やるべきと思うことを自由な心で進めよう。
そう決めたら、心が解かれて晴れ晴れして来ました。
手 2013/07/13
ついつい増えてしまうマニキュア。この夏はマットな水色がお気に入りです。

マニキュアを落として、手を見つめながら、思い出していた。
子供達が小さい頃、手をつないで行った近くのお店屋さんのおかみさんが、私の手を見て、
あーらら、なんてつるつるの手、なんにも苦労知らずの手だねって。
今はお世辞にも言えない。
それでも、色が白ければなんとかなるのだけれど、色黒のしわしわの手だ。
そう言えばと、母の手を思い出した。
若かったけれど、母の手は水仕事で荒れていたなあ。
爪を伸ばすこともなかったし、働く人の手だった。

母は今思い出すと、非常に可愛い女性だったと思う。
町の化粧品店で
「ね、みいちゃん、どの口紅がいいと思う?」
私が大人びたベージュに近い薄いピンクの方を指差すとためらいなくそれを選んだ。
でも、後日、私は心の中で、後悔したのだ。
おかあさんには、赤い口紅の方がずっと似合うって。

親戚のおねえさんの結婚式当日、
田舎の大きな家に集まり、大勢の女性達が着物を着付けたり
お化粧したりしている。
母は留袖を着て、その後、その家の鏡台にあったマニキュアを見て言った。
「つけてみようかしら」
マニキュアなんて、つけたことが無い母だった。
「うん、きっときれいだよ」って私。

でもね、時間が無くて、乾くまでの時間がなくて。
結局、きれいには塗ることができなかった。
落とす術も知らなくて、母の爪は擦れたようになってしまった。
大丈夫、大丈夫って言っていたけれど、私はつけてみたらって言ったことを心底後悔した。

たぶん、私、9歳位だったと思う。

母の人生は私なんかより、ずっとずっと短くてたったの36年間だった。
今でも、ちょっとごつごつした手を口にあてて「ふっふっ」と笑う母の顔は覚えている。
遠い昔のことだけど。
会場にあったレプリカ

白象黒牛図屏風(白いゾウと黒いウシ)のゾウとウシのおおらかな表情、それと小さな横座りの犬がすごく愛らしい。可愛いと言えば、「虎図(あしをなめるトラ)」、目がくりくりでなんとも言えないほのぼのしたしぐさ。本当にまいりました。

最後には、生命のパラダイスと表した「鳥獣花木図屏風」
その場を去ることが惜しくて、いつまでも眺めていました。

江戸絵画の生き生きとした美しさ、力強さ、温かさがぐんぐんと観る者に迫ってきて、心から楽しい気分にさせられた素晴らしい展覧会でした。
当時の人々がいかに豊かな感性を持ち、素直な澄んだ新鮮な目でまっすぐに物事を見ていたかをつくづく思い知り、驚くばかりです。
江戸時代から明治初期に日本に訪れた外国人は庶民の貧しくとも幸福そうな暮らしぶりを見て賞賛したと言われていますが、正しく江戸絵画がそれを証明してくれています。
一方、現代の私達に目を移してみれば、疑心暗鬼のとげとげしい薄暗い世界しか作れていないような気がして残念でなりません。

今回、若冲たちが描いた絵画から、眠っていたおおらかで思いやりのある心を引き出されたような気がしました。
実に、福島まで行った甲斐がありました。
若冲に会いに 2013/09/19
仙台、岩手、福島の順番で恐らく最後かもしれないプライス展が開催されています。とうとう、今月23日で終了となってしまうので、慌てて福島まで行ってきました。

こんなにわくわく興奮し、愉しい気持ちになった展覧会は初めてです。それほど素晴らしかったのです。

とりわけ子供達を意識した展覧会の構成のせいで、すべての作品をより身近に親しみを籠めて観る事ができました。
例えば、全作品に副タイトルが付けられています。
プライスコレクションを代表する伊藤若冲の大作「鳥獣花木図屏風」は「花も木も動物もみんな生きている」
長沢芦雪の「白象黒牛図屏風」は「白いゾウと黒いウシ」
森徹山の描きかけの作品「松に鶴屏風」は「松をめざしてたくさんのツルがやってきた」といったように。

大胆な構図、奇抜な発想、気の遠くなるような緻密な筆使い、鮮やかな色使い、どれもこれもが驚きの連続で、ため息や感嘆の言葉がついつい口をつきました。

「達磨遊女異装図(「だるま」さんと〈ゆうじょ〉)」は、だるまさんのユーモラスな表情に思わず、笑ってしまったし、「達磨図(だるまさん)」の迫力に目を見張り、「百福図(おたふくがいっぱい)」は、おたふくさんの1人1人がみな生き生きしていて、すごく楽しそう、「柳下幽霊図(柳のしたの幽霊)」は本当にぞぞぞって感じ、でした。
運動会が嫌い 2013/10/15
今年の体育の日も青空が広がった

体育が大嫌いだった。当然、運動会も。
理由は単純、ひたすら運動が苦手だったからだ。
体育と言う科目がなかったなら、私は本当に心おきなく学校生活を楽しんだことだろう。
体育のある日は、朝から心底憂鬱でたまらなかった。

駆けっこはたいていビリか、ビリから2番目。1回だけ小学3年の時に3等になったことがある。
後にも先にも3等賞が最高なのだから、その時の記憶は鮮明だ。確か胸に黄色のリボンを付けてもらって、嬉しいよりも恥ずかしさの方が強かった気がする。
逆上がりは、生まれてこの方成功したのは、1回だけ。
それも休み時間の必死の練習の時で、誰も見ていなかった。そして、肝心の体育の授業の時にはからきしだめだったのだ。
マット運動の時は吐きたくなっちゃうし、跳び箱の前では急ブレーキ、ドッジボールはただただボールが投げられないので逃げてばかり、
最後に残ると、結局みんなが注目する中、打たれて撃沈。
全く、今思い出しても恥ずかしい。

そんな私、この頃、運動会が楽しみなのだ。
と言うのも、昨年娘夫婦に女の子が生まれて、彼女はまだ1歳なのだが、彼女の走る運動会が楽しみで仕方ない。
彼女を含め小さな子ども達が、一生懸命走る姿はきっと感動的だろう。

少し、心配はある。まさか、私に似て、運動が苦手にはならないだろうな。
いやいや、隔世遺伝と言うこともあるから、楽観はできない。

息子と娘も、私の運動音痴の血を受継ぐのではないかと、内心かなり心配したのだが、決して得意では無いにしても、危惧するほどではなかったようだ。
たぶん、夫のサポートも効をなしたのだと思う。苦手な鉄棒だって、休みの日に教えていたし、子どもは大人のそんな助けがあれば、ぐんと伸びるのだ。

みおちゃんは、まだ1歳、歩くことだってままならないのに、運動会を楽しみにしている、いやはや我ながら呆れてものも言えない。
心の重し 2013/10/23
愛する人が亡くなった時は、胸を鷲掴みにされたような痛みを覚えるよね。
あなただって、ご主人が亡くなった時にそう感じたでしょう。
と、友人からの何気ない一言を受けて、何と答えて言いか分からず、思わず苦笑いでごまかしてしまった。

いえいえ、そう言うことじゃない。そう言う悲しみではない。
不思議だけど、その時、ひどく自分が惨めな感じがして、えっ、私ってまだ乗り越えられていない?

気付いてしまったのだ。そうだ、私、まだ乗り越えていなかったんだ。
そしておそらく、乗り越えられることは無いのだ。

それは、夫が逝った数日後だったと思う。
車を運転しながら、ああ、この鬱積する思いはずっと私の心に留まり、消えることは無いのだろうなと覚悟したのだった。
悲傷とも孤独とも喪失とも表現できない、どの言葉も当てはまらない。
まるで、大きな鉛の塊をどすんと打ち込まれたような感じ、
重く暗いどんよりした塊は動くことはない。
一生、この鉛を抱えたまま生きるしかないんだ。
観念して、受け入れる他に道は無い。

夫と共に暮らしていた頃、何はなくとも心は青空だった。
彼と会うまでは、そんな青空を見たこともなかったから、本当に驚きだった。
けれども、その澄み渡った青空をもう、見ることはないと思う。
ただ雲の合間にのぞくことはあっても。
だからと言って、不幸な訳ではない。十分に恵まれているし、しみじみと幸せを感じる日々を暮している。
けれども、そう言うことなのだ。
乗り越えてはいない。
乗り越えることは今後も無い。
ずっと、この重しと抱き合わせで生きて行く。そう、当たり前だが死ぬまでだ。
単なる愚痴ですが。 2013/10/23
kaiちゃんの笑顔が頼りです。

穴があったら入りたい。
つくづくそう思うことがあります。
恥ずかしくてたまらないと言うことではなく、ただただ
穴の中で、息を潜めて、じーっとしていたいって感じです。
この世界と隔絶して、穴の中で眠っていたい。すべてが通り過ぎてしまうまで。

なーんて、疲れた時にはそんなことを思います。
仕事で行き詰った時、人間関係の煩わしさに閉口している時、物事がうまく進まなくてがっかりな時、もう全部うっちゃって、穴の中に逃れたーい。
あなたにもありますか?そんなこと。

でもそうは行かないのですよね。わかっています。
だから、しんどくても、前を向くしかないね。
わかっているのだけれど。
それでも、しんどいですよね。
特に私みたいに、ひとりだとね。
夫が遠くへ行って、もう丸8年が経つ。
相談したり、弱音を吐いたりできたのは、もはや昔のこと。

こうしてみると、いかに彼に助けられていたのか、今更ながら思うわけです。
あっちでも、同じこと思っているのかしらね。たぶん。
新しい自分 2013/11/03
紅葉の秋、人生もこの頃が一番美しいのかもしれませんね。あやかりたいです。

今年も2ヶ月を切りました。
過去10ヶ月を振り返ると、反省することばかりです。
だから、早々と来年に向けて、もう決めていること

1.引きずらない
2.研究する
3.発見する
4.進歩する

仕事も、趣味も、日々の生活もこの4つで行こうと思います。
できるかな。一皮向けた自分になれるかな。
Myスタイルブック 2014/01/07
お見せできるほどのものではないので、クリックしても大きくなりません(笑)

私ほど絵が下手な人はそうそういないだろうと思うのですが、変なことを始めました。
数ヶ月前から、その日の自分のスタイル、着ていた服と靴とバッグ、アクセサリなどを絵に描いているのです。鉛筆でささっと画いて、色鉛筆で色を塗ります。見た目だけでなく、着心地もすごく大事なので、それに関する小さなメモも残しています。
ものの2、3分で描いて、日付を入れるだけ。

ダイエットや健康のために、その日食べたものを記録したりするのは聞いたことがあるけれど、その日何を着ていたかを書き留める人はあまりいませんよね。
でも、これがすごく自分に役立つことがわかりました。

実は、外出前の身支度で何を着ようか迷って、時間がかかり過ぎていたのです。着るものが決まらないと、お化粧もできない、シャドーや口紅だって、何色にするかは問題でしょう。

それに、急いでいると結局、無難ないつものパターンになってしまって、これまたおしゃれのマンネリ化になってしまうのですよね。
そこで、スタイルブックというか、スタイル日記を付けることにしたわけです。

やってみると、これがなかなか楽しいし、かなり有効で、いつもおんなじから脱出して、常にちょっとした工夫をするようになりました。
クライアントとの打ち合わせでも、前回何を着ていたのかがわかるので、次回お会いする際にも同じ服だったなんてことも避けられます。
今まで袖を通すことがあまりなかった服も着るようになったし、違ったコーディネイトを試すようにもなりました。なにせ、新しい洋服はなるべく買わないと決めているので、今持っているワードローブをうまく着回さなくてはならないのですから。

それと、おしゃれは意外性も大事です。
周囲にはこんなイメージと思われていたのに、たまには裏切って、えっ?て驚かせてみましょう。
その日着るもので、自分もわくわく、晴れやかに過ごせます。

いつまでも若く美しくは無理ですが、おしゃれ好きな女性でいたいと思うこの頃です。
だって、断然その方が楽しいですものね。
おしゃれは、やっぱり生活の最重要エッセンスですね。
9 ページ (1-16)
前ページ次ページ12345678910111213141516
HOME

プロフィール
成長記録
足あと
Links
ひとりごと
気まぐれ
JOY
■お気楽生活[2005年]0歳~1歳
■お気楽生活[2006年]1歳~2歳
■お気楽生活[2007年]2歳~3歳
■お気楽生活[2008年]3歳~4歳
■お気楽生活[2009年]4歳~5歳
■お気楽生活[2010年]5歳~6歳
■お気楽生活[2011年]6歳~7歳
■お気楽生活[2012年]7歳~8歳
■お気楽生活[2013年]8歳~9歳
■お気楽生活[2014年]9~10歳
■お気楽生活[2015年]10~11歳
■お気楽生活[2016年]11~12歳
■お気楽生活[2017年]12~13歳
■お気楽生活[2018年]
■お気楽生活[2019年]
■お気楽生活[2020年]
■お気楽生活[2021年]
■お気楽生活[2022年]
■お気楽生活[2023年]
■お気楽生活[2024年]
■全部表示する
■海ちゃんと小さなお山へ
■海ちゃんとキャンプ
■海ちゃんと小さな旅
フリーワード検索
海ちゃんが来た
海ちゃんのいろんな顔
スタジオのあるマリンスタイルの家byあらいさん
山の思い出
お気楽生活[2024年1月]
お気楽生活[2024年2月]
お気楽生活[2024年3月]
お気楽生活[2024年4月]
セドナへの春旅[2024年4月]
お気楽生活[2024年5月]
お気楽生活[2024年6月]
お気楽生活[2024年7月]
お気楽生活[2024年8月]
お気楽生活[2024年9月]
お気楽生活[2024年10月]
お気楽生活[2024年11月]
お気楽生活[2024年12月]
お気楽生活[2025年1月]
お気楽生活[2025年2月]
HOME