SEDONAへの旅を計画中
出かける時、駐車場の心配が無ければ、たいてい車で向かう。決して上手くはないけれど、運転するのは好きだ。
特にひとりで、何処へでも自由に走るドライブは素敵だ。後部座席にkaiちゃんがいればもっと最高だけど。
好きな音楽を聴きながら、何を考えるでもなく、さまざまに想像し、思い巡らしながらのドライブ、何時間でも平気だ。
けれども都内へ出る時などはバスや電車を使う。気楽に揺られながらのひとときも素敵だ。
車窓からの眺めを楽しむ。住宅や学校やビルが通り過ぎ、マンションのベランダのたくさんの箱を眺め、駅のホームの人々を追い越して、なんとなくそこにいる人々の暮らしに思いを馳せたりする。
車内に居合わせた人々を見やる。やはりなんとなく観察したり、あるいは想像してみる。あれこれとめぐらすうちに、思いがけなくいいアイディアや言葉ややりたいことが浮かんだりする。
そういう空白の時間が必要だ。考えること、それが無ければわたしはわたしでなくなる。考える喜びと言えるかもしれない。
車中で読書したりゲームしたり、時には英単語の暗記をしたり、ネットを見たりもいいけれど、ただ漠然とでも『考える』というのも悪くない。
時間を無駄にした気分になるかもしれないけれど、その無駄と思われる時間こそが幸福な時間である。
無駄こそ、心豊かな生活に寄与しているように思う。
人生は意味があることばかりで出来上がるわけではない。目的もなく無為なことに没頭することこそ、もしかしたら最も価値あることかもしれないではないか。
この秋、久しぶりに遠くへの旅を計画している。
飛行機を乗り継ぎ、バスに何時間も揺られる長い旅だ。車窓からどんな風景が広がるのか、どんな人々が通り過ぎていくのか、たっぷりの空白の時間を楽しもうと今からわくわくしている。 |