窓辺の山椒がやっと色付き始めました。彼女にとっては今はまだ秋のようです。
わたくし、実は60代です。
そんなこと知ってるよと言われそうですが、
この間まで、アラフォーだと思っていたのに、アラフィフもあっという間に過ぎ去ってしまいました。
私の記憶に残る祖母の姿は、60代、同じくおばあちゃんなのか!
グググっときます。いやですよねー
とは言え抗っても、現実は現実。
そこで、考えてみました。どんな60代を目指そうかと。
美しいそれは無理と分かっていますので、可愛いそれならなんとかなりそう?
いやいや、可愛いはあまりにもイージーですね。
さりげないそれ、しなやかなそれ、
いろいろ考え、思い浮かんだのが、清々しいという言葉でした。清々しく生きて、清々しく人生を終われたら嬉しい。
清々しい60代、いいではないですか。
無理なことはささっと潔く諦める、けれども信じたことは簡単には手放さない。
なんでも年齢のせいにしたくはありません。
年に甘えず、だからといって年に抗うことなく、しなやかに生きて行きたいものだと思うこの頃です。
清々しく、物事に固執することなく、常に潔く、そして自由につつましく、けれども妥協することなく、おもねることなく、信じている通りに生きて行きたいと思うこの頃です。
年をとるのも案外悪くはないものです。自分が年をとってつくづくそう思うようになりました。
ものごとを俯瞰できるようになった気がしますし、そのことで今まで全く気づかずにいたことがくっきりと見えてきて、ああ、そうだったのかと理解できることが増えました。すると生きていること自体が、しみじみ愛おしく感じられるようになってくるのです。
必死に生きていたあの頃、周りが見えずに猪突猛進のごとく突き進んでいた頃、随分と遠回りしてしまったり、それと知らずに他人を傷つけてしまったり、失敗ばかりして、いえいえ、それらは現在も進行形なわけですけれど、そんなこんなの日々がとても貴重に思えてきます。
果てしない時間と宇宙の中で、一瞬であろう人生だけれども、儚いからこそ美しいのですね。
冬の季節へ入った私、清々しいかどうか、それが私の秤になりそうです。
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