kaiちゃんとは以心伝心。想いは伝わる。
数日前、東京新聞の本音のコラムに目が止まりました。
看護師の宮古あずさ氏が、がん患者の最期のことを書かれていました。
乳がんで闘病していた小林麻央さんが最期に「愛してる」と言い残して旅立ったことに関して、
麻央さんのご冥福を祈りつつ、ブログで読者に勇気を与え続けてきたことを称え、
しかし、実際には最期に会話できる人はほとんどいないと書いています。そのような最期は稀有なことなのだそうです。
病気の展開予想は難しく、大抵の患者さんは鎮痛剤で眠らされて、そのまま息を引き取るのが常だと。
「だから見送る人間にできるのは、話せる間にうんと話すこと」と宮古氏は書いています。
愛する人からの最期の言葉、残される者にしてみればどんなにかその言葉が欲しいことでしょう。
確かに、その言葉はその後の人生の支えとなるように思います。
また、最後どんな思いでいたのか知りたいとも望むでしょう。
もし、眠ったままに逝ってしまったら「ありがとう」と言われたかった、「愛してる」と言われたかった、そう思うのは当然のことです。
最期の言葉として、遺言を残す、もしくは手紙やメモを残す、そんなことも考えられます。
けれど、愛しているからこそ、あえてそれを残さないこともあるのではないでしょうか。
例えば、その言葉によって残された者を縛りたくない、いつまでも自分のことを想うことで前に進めないなんてことがないように。
あるいは、その人の信条やポリシーからむしろ残したくないということもあるでしょう。
もし私が死にゆく立場であるのなら、残さないかもしれません。
最期だけでなく、たくさんの言葉を思い出せるように、思い出してもらえるように、「話せる間にうんと話すこと」が大事なのですね。
元気な時にこそ、いっぱい話す、バカを言い合ったり、時には言い争いをしたり、なんということもない日常の会話、その一つひとつの言葉はみんな最後の言葉になるのだと思います。
突然倒れてそのまま亡くなってしまった夫との会話を私は毎日のように思い出します。二人でいる時は尽きることなくおしゃべりしていました。よくもまあ、他愛のないことを冗談をまじえてしゃべり続けたものだと思います。今となれば、そうやってお互いに言葉を交わして日々を暮らして来れたことに感謝せざるおえません。
本当は、その日ちょっと喧嘩をしてしまったのですけれど、そしてそれがなんとも悔しいのですけれど、彼が心に思っていたことは私には伝わっていました。だから、揺らぐことなく笑顔で彼の気持ちをおもんばかることができます。
最期の言葉、実はちゃんともらっていたのだと気付きました。 |