後藤健二さんはISILに拘束された湯川遥菜さんを救出しに、無謀にも危険な本拠地ラッカに入って行き、最終的には二人ともが殺害されてしまいました。
自身の命も顧みず、なぜ、後藤さんはそうまでしてラッカに向かったのか、どうしても疑問でした。
しかし、先日の東京新聞の佐藤勝氏のコラムを読み、その答えが分かったと思いました。
以下は引用です。
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イエス・キリストは九十九匹の羊を残してでも、迷った一匹の羊を捜すべきだと言った。「イスラム国」に湯川遥菜さんが捕えられたとき、誰も本気で彼を助け出そうとしなかった。「誰もやらないことならば、君がやらなくてはならない」という神の声が後藤氏に聞こえたのだと思う。
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神の声が聞こえたなんて、いくらなんでもそれはないだろうと思われるかもしれませんが、氏の推測は当たっているのではないかと思うのです。
クリスチャンであった後藤さん、ラッカに向かったのは、ジャーナリストとしてだけでなく、むしろ一人のキリスト者として行動したのではないでしょうか。
当然死を覚悟してのことであったでしょう。
一匹の羊を助けることとはそういうことなのだ、止むにやまれぬ気持ちで捜さずにはいられない、そんな湧きあがる思いとゆるぎない信仰に突き動かされてのことであったのではないでしょうか。
自分の命を差し出してまで、信念を貫いた彼は、最後まで本当に立派だったと思います。
そして、これからは別な形で仕事を続けていくのでしょう。
クリスチャンにとっては死は終わりではないからです。 |