kaiちゃんにも見守られています。
半年ほど前であったか、Crossroadという番組で矢野顕子さんの特集を観ました。
ニューヨークに猫と一人暮らしの彼女、音楽だけでなく生活のすべてのことに情熱を持って過ごしている様子に、感銘を受けました。もちろん、ライブも曲作りも精力的にこなす、いつも笑顔を絶やさず、 本当に素敵な方でほれぼれ、
私と同世代の彼女、私もあんな風に生きられたらいいなあとつぶやいたら、
言われてしまいました。
「いえいえ、そんなに頑張らなくっていいんじゃない?」
そうだ、そうだよね、私は矢野顕子さんじゃないものね。
誰かのようにっていうのは、無理なのです。
そう言われて、むしろほっとしてしまった私、そうか、頑張って誰かみたいになろうと思うのがそもそもの間違いだと気付きました。
誰でも、自分を変えて、新しい自分になりたいと思うことがあります。
誰かのようになりたいと憧れる。一方、滑稽な自分に嫌気がさす。こんな自分から逃れたいと思う、こんな自分は消してしまいたいと悩む。
でも、それだけを考えていたら、毎日が真っ暗でしょう。
好きな自分もちゃんといるから、気持ちが紛れ、明るくなれるのだと思います。
では、嫌いな自分、惨めで、恥ずかしくて、醜くて、滑稽なだらしない自分はどうするか、現実にはその自分も捨てることはできません。
さて、掲題の「見守る」の言葉、今までは消極的な言葉で好きではなかったのだけど、 つい先ほど読み終えた平野啓一郎氏の「空白を満たしなさい」から、これだと思いました。
そういう負の自分を消すことはできないけれど、「見守る」ことが生きる道なんだと教えられました。
そう、「見守る」がキーワード。
好きな自分を見つける、自分の一部分だけでいいから。そして、他の嫌いな自分のことは「見守る」ことにしましょう。
自分にも思いやりを持って、やさしく「見守る」なら、他人をも広く許容できるようになるのではないでしょうか。
「見守る」が秘訣なんて、大きな発見でした。 |