フランシス・ベーコンと聞けば16世紀のイギリスの哲学者を思い浮かべてしまうのですが、先日、アイルランドの画家であるフランシス・ベーコンの展覧会へ行ってきました。ベーコンは、ピカソと並んで20世紀を代表する画家、なのに、私は知りませんでした。
竹橋で仕事の打ち合わせがあったので、その帰りに開催中の東京国立近代美術館に立ち寄りました。何の知識も無く、会場に入り、目に飛び込んで来た絵を見るなり、強烈なショックを受けました。実際、私の後ろに続いて来た女性は、「わっ、すごい」と口に出して小さく叫んでいました。
絵が発する凄まじい不安感と嫌悪感、謂われの無い絶望感に圧倒されて、すぐさま、私はこの展覧会に来たことを後悔し始めました。
亡霊のような顔の不気味に大きく開けた口からは、今にも狂気の叫び声が聞こえてきそうです。体を二つに折り曲げうなだれている女性らしき人物からは、悲痛なうめき声が漏れてきそうです。
壁に掲げられたベーコンの言葉は強烈でした。
「17の時です。はっきり覚えています。舗装道路に犬の糞があって、それを見ているうちに突然思ったのです。これだ、人生とはこういうものだ、と。おかしなことですが、それから数カ月間悩みました。そして、言ってみれば、事実を受け入れたのです。自分は今ここにいるけれど、存在しているのはほんの一瞬であって、壁にとまっている蠅のようにたちまちはたかれてしまうのだ、という事実をです。」
その感覚は、ベーコンの作品の根になっているのでしょうか。果たして、ベーコンは死ぬ時までそのように人生を捉えていたのでしょうか。80歳を超えて描いた最後の三幅対からは、複雑過ぎて容易にその意図を掴むことはできませんが、片方の足を死の暗闇に踏み込んでいるような、そしてその事実をしっかりと受け止めているような気がしました。
それほど多くはない33点の作品、晩年の作品になるほど、どろどろした感じは薄れ、シャープ且つドライで洗練されたデザインに変化したように受け取れました。
またベーコンから影響を受けたと言う舞踊家土方巽やペーター・ヴェルツ&ウイリアム・フォーサイスの映像も流れており、それらをも鑑賞して、外へ出た時にはすっかり疲れきってしまっていました。
さて、その後数日が経ち、それらの絵が私の頭から離れてくれないのです。誰にでも、どこか不吉な忌まわしい感情が心の奥深くに眠っているのかもしれません。だから、怖いもの見たさと言ったら変ですが、その絶望と無力感、ひいてはあきらめで固められたような絵を真実として垣間見たくなるのでしょう。
最後に、ひどく散らかった足の踏み場もないようなベーコンのアトリエの写真が大きく飾られていたのも印象的でした。
ベーコン展は強烈な記憶として私の中に残り、おそらく忘れることは無いでしょう。もしかしたら、その記憶は時と共に、その鮮明さを増して行くかもしれません。 |