おじいさんとおばあさんになったら使おうと仕舞い込んでいた「緑彩木賊 急須と湯呑み」
先日、テレビであるニュース番組のキャスターが「夫を亡くしたおばさんほど、元気だ」とかなんとか言っていました。
なるほど、そう見えるのだなあと苦笑いしました。
以前、女性ばかりの飲み会で「今は一人暮らしなのよ」と言ったら、
「羨ましいーーー」と一斉に言われてしまい、あたふたしました。
そんな風に気楽なものだと思われているのかと、その時も複雑な思いでした。
何年か前、やはりご主人を亡くした友人と二人で飲んだ時、
「私たち、陽気なウィドウでいましょうね」って約束したものです。
暗い顔して、一人を嘆いていたら誰もいい気持ちはしません。
ますます孤独になるばかりでしょう。
明るく楽しいところに人は集まるものですから。
私の元気の元は、私を理解し、大切に思ってくれる人がいる、いたことです。
長く夫婦として生きてきた人なら分かると思うけれど、「あれ」とか「これ」と言うだけで何を指しているか察することができる、「あのね…」と言えばその後の言葉も言わなくてもわかる。
お互いの気持ちが手に取るようにわかり、尚且つ思いやることができる、
そんな人と巡り会えたことは、大きな励ましです。
だから、息子と娘についても常々思います。
彼らそれぞれが、心を許せる良きパートナーに恵まれている、それが最も嬉しいことだと、
ずっとお互いを大切に思って仲良く生きてほしいと。
誰かが自分を大事に思ってくれること、それを信じられることって素晴らしいことだから。
陽気なウィドウ おばさんは元気ですよ。
たまには遠くへ行くのが早すぎた人に向かって、文句を言いたくなることもありますけどね。
でも、ぐっとこらえます。
きっとそれは彼だって同じ思いでしょうから。 |