kaiだらけでごめん 海ちゃんのお気楽生活
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雨のステイション 2017/08/13
少し暑さがやわらいだ8月中旬の日曜日、お盆で夏休みの方も大勢いることでしょう。でも例年通りと言うか、私の夏休みはすっかり何処かに隠れてしまっています。この夏もマイペースながらそれなりに忙しく働いています。
それでも、クライアントがお休みなのでメールも電話もなし、気が楽な一週間です。

今日は日曜日だし、午後から仕事のつもりで朝寝坊をして、今、音楽を聴きながらパンケーキを焼き、丁寧に入れたコーヒーでブランチを取っています。

ユーミンの雨のステイション。
先週、息子がYOUTUBEにアップしたジャムセッション Naked Jam No5の曲が『雨のステイション』でした。しみじみといい曲、いい演奏でした。
https://www.youtube.com/watch?v=6kVY6FhmQmw

この曲はユーミンが荒井由実の時代、1975年のアルバム『コバルトアワー』に収録されています。『卒業写真』や『ルージュの伝言』も入っています。

我が家にあるのは、CDではなくてレコード。まだまだたくさんのレコードがあるんです。音楽をこよなく愛した夫のために、ある時一念発起して、全部をデータベース化、新しい保護袋に入れてラベルを貼って、ナンバー順に収納してあります。おかげで、探しやすくなったし、重複して買ってしまうなんてことも無くなりました。
今はなんでもデジタル化の時代ですが、これらのレコードのコレクションは捨てられません。残される者には迷惑でしょうが、死ぬまで持っているつもりです。

『コバルトアワー』を取り出したら、かすれぎみのラベルはNo.2、そうか、2番目に登録したんだな。1番目は『悲しいほどお天気』まずは好きなレコードから入力したのだとわかりました。
ふわりと針を載せ、コーヒーをすすり新聞を広げる、、、と、流れてきた音楽につい耳をそばだててしまって、新聞の文字が頭に入ってきません。
やっぱり素敵、ユーミン。たちまち吸い込まれてしまう音楽の素晴らしさ。

雨のステイション、あなたなら、何処の駅を想い描きますか。
ユーミンは、西立川駅を想って書いたのだとか。彼女は八王子出身だから、辺りのその駅にきっと思い入れがあるのでしょう。
おそらく、誰でもに自分の想う駅があるのではないでしょうか。胸がきゅんとする切ない想いかもしれません。

40年以上も経ったのに、変わらずこのレコードを聴いているなんて、当時の私には想像できなかったこと。
でも、その頃と変わらぬ私が今もいるなと思いました。
ほめ言葉 2017/08/08
「あなたは美人じゃないけど、可愛いわよね」っていうのはほめ言葉なのですよね。
でもでも、前半部分が無ければ、すごく嬉しいけれどなんだかなあ。

よーくよく、自分でも承知しています。
鼻ぺちゃであごは長いしその上おでこ、色黒に加えて、若い時に日焼けを存分にしてしまったせいでシミだらけの顔なんだもの。

でも物は考えようで、だからこそ自分を磨くのに一生懸命になるというもの。もし、私が美人だったなら、相当なぐうたら人間になっていたと思います。

女は顔じゃない心だなんて言っても、少しも慰めにはならず、もちろん心の方がずっと大事だけれど、やはりきれいでいたいと女性なら誰でも願うでしょう。だから、少しでも見た目も良くなるように日々努めます。

誰にも会わない休日でも、できるだけお化粧することにしています。ノーメイクが理想なのだけれど、肌がきれいならばと言うことで、私は残念ながら全く自信無し。せっかくメイクしたのに、本当に誰にも会わなかったりすると、あららもったいなかったなんて、せめて、kaiちゃんがいればいいのにと思ってしまいます。

さて、いつものメイク、このところちょっと変えてみました。
ずっと同じメイクをしていると、だんだん顔が古くなってくるでしょ。メイクって流行もあるし、変化がすごく大事ですよね。

私くらいの年齢になると、(何歳?って突っ込みがきそうだけれど、聞かないでね)とにかくあまり濃いお化粧は似合わない気がします。なので、今はまつ毛にビューラーは使わない、アイラインは描かない。
大体、メイクってやり過ぎが失敗の元、また、気が変わるかもしれませんけれど、今は薄化粧がマイブーム。
およそ誰も見ていないし、ただの自己満足だと分かっていますけれどね。

以前、知り合いの60代後半の女性が
「目と鼻と口が付いていれば十分、お化粧なんてどうでもいいって60過ぎたら思うようになった」と言っていました。うーん、私はどうもそこまで到達しそうもありません。

メイクやネイル、おしゃれの愉しみは捨てられない、きれいにネイルが塗れた時は嬉しいし、新しいマスカラを使えばその日一日中幸せな気分で過ごせます。要するに自分のためなのです。

時折、挨拶を交わすご近所の80代のおばあちゃま、先日は黒のワンピースにカラフルなポシェット、爪をベージュにネイルして、薬指と小指だけピンクと水色でした。
思わずいつも素敵ですねって、声を掛けました。
おしゃれは気分を明るくしてくれます。
残す言葉 2017/06/28
kaiちゃんとは以心伝心。想いは伝わる。


数日前、東京新聞の本音のコラムに目が止まりました。
看護師の宮古あずさ氏が、がん患者の最期のことを書かれていました。

乳がんで闘病していた小林麻央さんが最期に「愛してる」と言い残して旅立ったことに関して、
麻央さんのご冥福を祈りつつ、ブログで読者に勇気を与え続けてきたことを称え、
しかし、実際には最期に会話できる人はほとんどいないと書いています。そのような最期は稀有なことなのだそうです。
病気の展開予想は難しく、大抵の患者さんは鎮痛剤で眠らされて、そのまま息を引き取るのが常だと。
「だから見送る人間にできるのは、話せる間にうんと話すこと」と宮古氏は書いています。

愛する人からの最期の言葉、残される者にしてみればどんなにかその言葉が欲しいことでしょう。
確かに、その言葉はその後の人生の支えとなるように思います。
また、最後どんな思いでいたのか知りたいとも望むでしょう。
もし、眠ったままに逝ってしまったら「ありがとう」と言われたかった、「愛してる」と言われたかった、そう思うのは当然のことです。

最期の言葉として、遺言を残す、もしくは手紙やメモを残す、そんなことも考えられます。
けれど、愛しているからこそ、あえてそれを残さないこともあるのではないでしょうか。
例えば、その言葉によって残された者を縛りたくない、いつまでも自分のことを想うことで前に進めないなんてことがないように。
あるいは、その人の信条やポリシーからむしろ残したくないということもあるでしょう。
もし私が死にゆく立場であるのなら、残さないかもしれません。

最期だけでなく、たくさんの言葉を思い出せるように、思い出してもらえるように、「話せる間にうんと話すこと」が大事なのですね。
元気な時にこそ、いっぱい話す、バカを言い合ったり、時には言い争いをしたり、なんということもない日常の会話、その一つひとつの言葉はみんな最後の言葉になるのだと思います。

突然倒れてそのまま亡くなってしまった夫との会話を私は毎日のように思い出します。二人でいる時は尽きることなくおしゃべりしていました。よくもまあ、他愛のないことを冗談をまじえてしゃべり続けたものだと思います。今となれば、そうやってお互いに言葉を交わして日々を暮らして来れたことに感謝せざるおえません。
本当は、その日ちょっと喧嘩をしてしまったのですけれど、そしてそれがなんとも悔しいのですけれど、彼が心に思っていたことは私には伝わっていました。だから、揺らぐことなく笑顔で彼の気持ちをおもんばかることができます。
最期の言葉、実はちゃんともらっていたのだと気付きました。
真実に生きる朝日新聞デジタルから 2017/04/25
胸に応える記事なので、自分のために。

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 「やはり真実に生きるということができる社会をみんなで作っていきたいものだと改めて思いました」「今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています。みながその方に向かって進んでいけることを願っています」

 これは、2013年10月27日、熊本県水俣市を初めて訪れた天皇が水俣病患者の話を聞いた後に述べた言葉である。事前に用意された「おことば」ではない。天皇が返礼に自らの思いを述べるのは異例である。日本の公害の原点とされる水俣病は、胎児も含め、筆舌に尽くし難い病苦を患者に与えただけでなく、差別や偏見の故に患者であることを隠す生き方までを多くの患者と家族に強いた。その苦しみに寄り添い「真実に生きる」ことを励ます天皇の言葉は、当時、優しい言葉と報じられた。

 優しい言葉である。だが、優しい以上の言葉である。差別と偏見の只中(ただなか)にあって自らを晒(さら)すことは勇気と覚悟を要するからである。それを励ますことは、ひとつの生き方を励ますことである。その生き方こそ「真実に生きる」ことである。

 「真実に生きる」という言葉、殊(こと)にその「に」には、どこか日本語として聞き慣れない響きがある。英語に堪能な天皇はlive trueという表現を想起していたかもしれない。live true (to)は、何かに忠実に生きるということである。「真実に生きる」とは、あるべき自分の生き方に忠実に生きることであり、それを天皇は、全ての個人に励まし、それができる社会へと向かう努力を自他に求めたのである。

     *

 天皇にとって、それは自らがそうありたいと思う生き方であったに違いない。2013年4月28日、政府は「主権回復の日」の式典を挙行した。第2次世界大戦後占領下に置かれた日本が独立したのが1952年4月28日。沖縄は本土復帰が叶(かな)わなかった。その61周年を祝う式典への出席を求める政府の事前説明に対し、天皇は「その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と指摘した(毎日新聞2016年12月24日付)。先の大戦で国内最大の地上戦の戦場となった沖縄に対して、天皇は特別の思いを寄せ続けている。その天皇が、国政に関与したとの疑いを抱かれないよう細心の注意を払ってした発言が、この指摘である。

 この指摘は、短いが、あるべき自分の生き方に照らしての真実からする指摘であった。皇太子時代の1975年、沖縄を初めて訪れることになった天皇は、本土復帰から3年での訪問に「何が起こるかわかりません」と危惧した関係者に対し、「何が起きても受けます」と答えている。「受ける」という言葉には、父たる昭和天皇の名で行われた大戦で沖縄に甚大な被害を「与えた」以上、沖縄から何かを「受ける」のは自分であるとする苛烈(かれつ)な覚悟が見える。はたして、沖縄入りしたその日、過激派から火炎瓶が投げつけられた。その夜、皇太子(現天皇)は異例の談話を発表している。「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人びとが長い年月をかけて、これを記憶し、一人ひとり、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」

 即位後の天皇は、あるべき自分の生き方として自らのこの言葉に忠実に生きる道を選んだ。「長い年月をかけて、これを記憶し」、「深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていく」は、ほかならぬ天皇自身の今日までの歩みそのものだろう。「一人ひとり」がすることをおいて考えられないことを、天皇自らがする。それは天皇が国民「一人ひとり」を「象徴」しているということではないか。天皇は、沖縄の人々をめぐって国民と自己との間に作られることを願った、ここに見たような関係の在り方に、憲法に書かれた「象徴」という概念の生きた姿を見出(みいだ)したように思われる。

     *

 「真実に生きる」ためには、あるべき自分の生き方に忠実であろうとする意思が必要である。天皇の場合、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(憲法1条)であるとはいかなることかを考え、絞り出すようにして出したその答えにふさわしく生きることが「真実に生きる」ことであった。それは、あるべき自分の生き方にしっかり向き合うこと ldo justice (to) であり、そうすることが「自分が正しくある」ことにほかならない。

 沖縄の人々が「屈辱の日」と呼んだその日を「希望と決意を新たにする日」(安倍晋三首相)と呼んで祝う式典 それが象徴するのは「国民統合」ではなく分断だろうそれに天皇は出席した。それは、天皇にとって、「真実に生きる」ことではなく、「自分が正しくある」ことでもない。その半年後、天皇は、水俣病患者たち、そして全ての個人に、「真実に生きる」こと、「自分が正しくある」ことを励ましたのである。

 天皇退位をめぐる政府の検討が大詰めを迎えている。天皇が自らの歩みをもって国民に問いかけ続けた「象徴」に関する議論は、まだほとんど聞こえてこない。

     ◇

 ありかわ・つねまさ 1964年生まれ。専門は憲法学。日本大学大学院法務研究科教授。著書に「尊厳と身分」「憲法的思惟」。
夢 2017/03/28

死が何が悲しいかと言えば、もう絶対に逢えないのだということです。
逢うことも触れることも、声を聴くことも話すことも、けっしてできません。

たとえ地の果てに別れ別れになっても、生きてさえいれば、どこかで再び逢える日が来る。
そんないちるの望みが残されているけれど、死んでしまったら、すべては終わってしまうのです。
あたりまえのことだけど、その現実に打ちのめされます。
さっきまでいたのに、今はもういないという事実。
触れた手の温かさ、見つめた瞳の輝き、規則正しい呼吸の音、匂いも感触も残っているのに、
もはや過ぎ去ってしまったという事実。

でもしかし、ふと考えます。
もしも死んだなら、別の世界で逢えるなんてことがあるのでしょうか、本当に。
そうであるのなら、その日を楽しみに生きていけます。
再会の瞬間を想像すれば、ぽーっと胸が熱くなります。
いてもたってもいられない気持ち。

そんなことを思う春の夜です。
ドビュッシーの「夢」を聴きながら。
今年最初のコンサート 2017/01/06
第173回 NTT東日本 N響コンサート
東京オペラシティ コンサートホール

モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」序曲
モーツァルト/ピアノ協奏曲 第9番 変ホ長調 K.271「ジュノム」
ドヴォルザーク/交響曲 第9番 ホ短調 作品95「新世界から」

指揮:広上淳一

ピアノ:小曽根 真

#LIVE
この世界の片隅に 2016/12/31
2016年最後はアニメ「この世界の片隅に」の映画を観て終わりました。
原作:こうの史代
監督・脚本:片渕須直

今迄のいわゆる「原爆・反戦映画」とは違っています。
どう違うのか、うまく説明できませんが、暗く重苦しい空気がおおっているのではなく、戦時の人々の生活がたんたんとそれもユーモアたっぷりに描かれていて、喜びや悲しみや怒りや後悔、もろもろの感情がじわーっと心に染み入ってくるのでした。

原作者のこうの史代さんは本(漫画)のあとがきでこう書いています。
「この作品では、戦時の生活をだらだら続く様子を描くことにしました。
そこにだって幾つも転がっていたはずの「誰か」の「生」の悲しみやきらめきを知ろうとしました。」

主人公のすずさんの発する言葉が今も胸によみがえります。
演じた能年玲奈さんの声と共に。(能年玲奈さん、今はのんさんですが、すずさんにぴったりでした。)
そして今、シリアやイラクをはじめ戦火のただなかにいる人々にも同じ生活があることに想いをはせました。

どうしても原作を読みたくなって、大人になって初めてコミックを購入してしまいました。
晩秋に2つの美術展 2016/12/08
二週続けて、気になっていた美術展に行って来た。
「デトロイト美術館展」と「ゴッホとゴーギャン展」だ。

「デトロイト美術館展」での目当てはゴッホの「自画像」麦わら帽子をかぶり鮮やかな青いスモッグを来た自画像だ、それと、モディリアニの「女の肖像」。
この二つを間近に観られただけで満足なのだが、他にもモネやドガ、ルノワール、セザンヌ、ゴーギャン、そしてピカソやマティス、52点もの名作が展示されていてものすごく見応えがあった。すべてを観終わったら、もうへとへとだった。
いつもそうなのだが、大抵の美術展では作品数が多すぎて、頭が飽和状態になるのは私だけだろうか。
一つひとつゆっくり観ていたら、いつまででも見切れない。このデトロイト美術館展も、できることなら何回でも来てじっくりみたいものだと思った。

さて、もう一つは「ゴッホとゴーギャン展」
またしても主役はゴッホさんだ。
ゴッホ対するゴーギャンと言う風に、つい比べてしまい、私は圧倒的にゴッホの方が好きだし、ゴーギャンはそれほどでも・・・なんて思い込んでいたのだけれど、ゴッホとゴーギャン展を観て、考えを改めさせられた。
ゴッホが好きなのには変わりないけれど、今回は独特な時には強烈な色彩をもって繰り広げられる想像の世界、暗示的とも言えるゴーギャンの絵に、すっかり魅せられてしまった。

特に「ブドウの収穫、人間の悲惨」「紡ぐブルターニュの少女」は意味を解釈するのは困難だが、暗示的な不思議な力に引き付けられる。また「木靴職人」の色合いの美しいことに驚いた。
「肘掛け椅子のひまわり」の前では、なかなか立ち去ることができなかった。二人の仲は破綻したと言われるゴッホとゴーギャンだが、ゴッホが亡くなった11年後にゴーギャンはこのひまわりの絵を描いたという、実は二人の友情はずっと続いていたという証拠であろう。

随分前に観た「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を思い出し、再びあの絵が猛烈に観たくなった。

さて一方の私の大好きなゴッホ、今回は数ある自画像の中でも明るいイメージの「パイプと麦わら帽子の自画像」が素敵だった。
外に出てみるとすっかり宵闇となっていて、ぽっかり浮かぶお月さまがきれいだった。
読書中 2016/10/23
悲しい時は本を読む。これに限る。
悲しい時は仕事する。これも当たっているかもしれない。忙しくしていれば、くよくよする暇は無い。
でも、ふと気持ちが途切れれば、元の木阿弥だ。
なんの解決にもなっていない。

だから、本を読む。これに限る。
本の中の世界に入れば、悲しい自分も頼りない自分も愚かな自分ももういない。
そこから帰っていた時には、元の自分ではなくなっている。
なぜか清々しい気分だ。

それと、もう一つ、悲しい時は山を歩く。これはとびきりの効果がある。
森を歩くのもいいけれど、平坦な道ではなく山を登り、下るのが良い。
息を切らしてひたすら歩く。足を前に出す作業を繰り返しているうちに、頂上にたどり着く。
目の前に広がる山並みや樹々、流れる風に触れたら、些細なことにこだわり、心を奪われている自分に別れを告げることができる。
最近、めっきり山歩きをしなくなってしまった私が言うのもなんだけど。

さて、とりあえず今日は読書といこう。
日の当たる椅子に腰かけて、昼間から本をめくる日曜日、これほどの至福はないと言える。
かたわらに彼が寝そべっている。もちろん、彼とはkaiちゃんのこと。
お手本 2016/09/24
もうすぐ、12歳の海ちゃんです。

余命について考えています。
あなたの余命はどの位?と聞かれたら、おそらく30代のあなたなら40年?50年?
あなたよりずっと年を取っている私ならたぶん10年、20年でしょうか。
夫が亡くなってから、しょっちゅう、あと何年と数えつつ、考えつつ生きてきました。

そんなに長生きはしたくないのです。でもそれだけは誰にも分らない。
長生きしたくないと言いながら、美味しいものを食べて、あそこにもここにも行って、家族や友人とおしゃべりをしてといった具合に、生きる欲が死ぬほどあるのに呆れてしまいます。

人間も動物も、みな天命というのがあるのかなと思います。どんなにじたばたしてもその時は来るのですね。
私はそのしばらく前に余命を宣告されたいと願っています。不意打ちの死は免れたい。ちゃんと準備がしたいのです。

そんなことをつらつらと考えていたのですが、気付けば誰に宣告されるまでもなく、残り少ないのだと自覚するに至っています。
だから、もう準備時です。

さて、我が家の愛犬、kaiちゃんは11歳。来月12歳のお誕生日を迎えます。
彼の余命、そんなに長くは無いと年齢からも承知していますが、その時を想像するとうろたえてしまう私です。
しかし、悲しんでもその時は来る。むしろ彼の余命を意識して、しっかり毎日世話をして行かなくてはと自分に言い聞かせています。
我が家には彼の前に二頭の犬がいましたが、どちらもある日、何も予期することもなしに亡くなってしまいました。
もう突然というのはごめんです。できる限りの看病をして、最後までそばにいたいし、お別れも言いたいのです。

自分に話を戻しましょう。
私自身の余命、10年単位ではないかもしれません。数年かもしれないし、数か月、数日なんてこともありえますよね。
と言いながら、もっともっと生きてしまったらどうしましょう。
事実、全く長生きしそうだよねって、友人からは憎まれ口を叩かれる始末ですから、本当に。
ともあれ、明日をも知れずに私たちは生きているのです。
であれば、大事なことを一番に、そろそろ好きなことに重心をおいて行こうかなと思うこの頃です。

ここまで書いてしまったけれど、なんと贅沢なことを考えているのかと恥ずかしくなってきました。
世界には、実に明日をも知れず、厳しい状況に置かれている人々が何百万人、何千万人といるのですから。

悠長にのうのうとしていることなく、身を正さねば。
ひたすらに常に「今」だけを生きているkaiちゃんが、お手本です。
申し分のない極上の音楽 2016/08/02
ひと月ほど前の日曜の夜、小曽根真とチック・コリア、NHK交響楽団、指揮:尾高忠明による「モーツァルト 2台のピアノの協奏曲 変ホ長調K.365」の演奏がEテレで放映されていた。

見逃さなくて、本当に幸いだった。
それはそれは素晴らしかったから。録画していたので、何度も繰り返し観て聴いている。
思わずブラボーと手をたたき興奮していたら、かたわらで寝そべっていたkaiちゃんが、とび起きた。

奔放なチック・コリア氏と律儀な小曽根さん。
自由に音をあやつり愉しむ演奏に、モーツァルトがその場にいたら、眉をしかめただろうか。
息子に尋ねたら、いや、モーツァルトならそんなことないでしょうとひと言。
そう、おそらくモーツァルトさんなら、苦笑いしつつも喜んで拍手したに違いない。

アンコールのアルマンドズ・ルンバは圧巻だった。
アンコール演奏前に、譜面台をよいしょと片付けてしまってウィンクするお二人。
そして、まさに本領発揮の演奏にはうなってしまった。
常に新しいことを試み、進歩を遂げているお二人。ジャズやフュージョンにとどまらずクラシックのジャンルでも多く演奏している。


スマホで観客の写真を撮るおちゃめなチック・コリア氏、曲に入り込んで口をへの字にして演奏する真面目な小曽根さん。
いかにも楽しそうに指揮をする尾高忠明氏。
我々をひとり残らずぐいぐいと音楽の波の中に引き込んでいく。

モーツァルトに感謝!チック・コリアと小曽根真に、尾高忠明とN饗に、そしてすべての音楽家に感謝したくなった。
決して大げさではなく、確かに音楽は生きる歓びを呼び起こしてくれる。
がっかりすることばかりで、めげそうになったりあきらめたくなったり、そんなことの方が多い日常だけど、上質な音楽を聴いた時には、また前を向いて明るく生きようと思うのはきっと私だけではないだろう。

※放映されたのは、NHKクラシック音楽館
第1835回  2016年5月14日 N饗定期公演
モーツァルト/2台のピアノのための協奏曲 変ホ長調 K.365
指揮:尾高忠明
ピアノ:チック・コリア 小曽根真

今回の《2台のピアノのための協奏曲》の演奏での第1楽章と第3楽章のカデンツァは、チック・コリアによって作曲された短いモティーフに基づくものだそうだ。
生誕300年記念若冲展 2016/05/05
見応えありました。若冲展。
とにかく3時間待ちのうわさもあったので、覚悟して行きましたが、1時間ほどで入館できました。

それにしても、人・人・人。中も外も!ゴールデンウイークなのだから仕方ないか、ましてや超人気の若冲展。
テレビでも何度も伊藤若冲についての番組が放送されていましたしね。

しかし、その人混みにも負けず、じっくり観てはその都度、その素晴らしさに感嘆のため息をついてきました。

江戸時代に京都で活躍した画家・伊藤若冲(1716?1800)超絶技巧且つその斬新な絵には誰でもが目を見張ります。
今回のお目当ては「釈迦三尊像」3幅と「動植綵絵」30幅(宮内庁三の丸尚蔵館)。
それが一堂に会した様は圧巻でした。

今は家で図録を穴のあくほどに眺めています。
最終日5月24日までに、もう一度行けるかなあ。
ひとりで観劇 2016/04/23
あまり劇を観に行くことはないのですが、井上靖の「猟銃」を中谷美紀が演じると知って、思わずチケットを購入してしまいました。

井上靖と言えば、「氷壁」が有名でしょうか。夢中になって氏の作品を読み漁ったことがあります。
もっとも印象に残っていて繰り返し読んだのは「ある落日」だったかしら。清里の駅から山へ続く1本道を思い浮かべます。

「猟銃」は3人の女性の手紙で構成されています。
妻と愛人と愛人の娘、まったくタイプの異なる女性3人をどう演じるのかすごく興味がありました。

恐らく話題としたら、愛人の彩子が鏡も見ずに着物を見事に着付けるシーンでしょうか。それには驚きましたけれど、私としては、妻である赤いドレスのみどりが素晴らしかったと思うのです。

小説の中ではさまざまな色が出てきます。
「百日紅の毒々しい赤色」
「納戸のお羽織」
(劇では「納戸色」と言っていました。知らなかったのですが、納戸色とは緑色を帯びた深い青色だそうです。)
「プルシャンブルーの真冬の海」
「真っ赤に燃える船火事の情景」
「セピア色の蛇」
「真白い斑点の蛇」

その色のすべてを演技一つ一つで表現されていたと思います。
中谷美紀さん、素敵でしたよ。さすがでした!

そして、やはり井上靖氏の文章の巧みさ、美しさがこの劇を支えていました。
法悦のマグダラのマリア 2016/04/21
2014年に発見された「法悦のマグダラのマリア」を観たくて、カラヴァッジョの展覧会に足を運びました。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610年)
殺人者にして天才画家という、バロック美術の巨匠です。

今回の展覧会では「バッカス」をはじめ11点が公開されています。
彼の作品には移動不可能な作品も多いため、点数は少ないのですがとても見応えがありました。

それとカラヴァッジョの継承者たちの作品群も多く展示されていました。
でもやはり、カラヴァッジョの作品は抜きん出ていました。

「法悦のマグダラのマリア」
祈り、懺悔、イエスへの愛と感謝の想いがこの表情になったのでしょうか。
眼をこらすと、うっすらと涙が一筋こぼれているのが認められました。

それと、背景、この暗闇の背景はなにを描いているのでしょう。
かすかに十字架が見えるような気がしたのですが、どうなんでしょうか。

いつまででもこの絵の前に立ち止まっていたい気持ちでした。
この絵と暮らしたいと思うほど。
ささやかながら、小さな絵葉書を買って部屋に飾ることにしました。
夢で逢えたら 2016/03/23
EIICHI OHTAKI DEBUT AGAIN & 吉田 美奈子 FLAPPER(2015 吉田 保 remastering)

吉田美奈子と言えば、はりのある伸びやかな高音の「夢で逢えたら」の歌声を思い出す。
大瀧詠一が彼女に提供した曲だ。

思い出の中には、必ずその時の音楽がある。

70年代終わりから80年代にかけて、その頃は子育てに忙しくしていたけれど、私の青春まっただ中でもあった。
私たちは若く結婚して子供を持ったから、青春と子育ては同時期だったのだ。
おんぼろサニーしかもエアコンなしで子連れで毎週海に出かけ、
TDKのテープADに好きな曲をダビングしては夢中で聴きまくっていた。
独身の友人たちがいつも小さなアパートの我が家を訪れてはわいわいがやがや賑やかだった。
途方もなく貧乏だったけれど、少しも悲壮感がなかった。
楽しくて楽しくて楽しくて、笑ってばかりで、毎日がおもしろくて、底抜けに明るい日々だった。

そんな時に聴いていた大瀧詠一のナイヤガラサウンド。
A LONG VACATION
EACH TIME
NIAGARA TRIANGLE

今聴けば、当時の私たちが目に浮かぶ。
ばかなことばかり言って、笑っていたあの頃。
いろいろな苦労もあったけれど、そんなの吹き飛ぶほど、心はどこまでも晴れ渡る濃い青空だった。

大瀧詠一さんが亡くなって2年が過ぎ、セルフカヴァーのアルバムが32年ぶりに発売された。
思わず、買ってしまった。彼の歌う「夢で逢えたら」が聴きたくて。

でもしかしだ、大瀧さんとしては、世に出してほしくなかったかもしれないとも思う。
これはデモテープ音源であって、あくまでも自分用だったのかななんて。
ともあれ、私はとっても嬉しいけれど。
心の芯 2015/10/23
時に助けられるというのは、この場合、決してないのだろうなと思う。
人生で時が解決することは、多くあるだろうけれど、これだけは解決してくれない。
むしろ、時が経つにつれて、じんじんと湧き出てくる痛みは大きくなるものだとわかった。

「心の芯からの悲しみなのですね。」と1年ほど前に夫を亡くされたある人は言った。
経験した者にしか、きっとわからない。
しばしの立ち話の中で、やはり涙こぼれる。
ドーナッツのしあわせ 2015/09/27
ドーナッツ、一緒に食べようよと言って、息子が買ってきてくれました。
夕べ、ドーナッツの話が出たからねって。

その話はこうです。
少し前の雨降りの日、娘と孫のみおちゃん、もうすぐ3歳、と駅前のパルコへお昼ご飯を一緒にしようと出掛けました。
ガラス張りのエレベーターは外の景色がよく見渡せます。
すーっと上がったら、ガラスにへばりついていたみおちゃんが叫びました。
「あーー、ドーナッツやさん」
時折、ママと入るドーナッツ屋さんが見えたのです。

ボールのように弾んだみおちゃんの声。
本当に驚いた、そして嬉しかったのでしょう。
何度も繰り返して
「ドーナッツやさんがみえた」
満員のエレベーターでは、そこここからくすっと笑う声。

しあわせなことだなと思います。
ママと食べるドーナッツ、手をお砂糖だらけにしながら、楽しいひととき。

他愛のないささやかな日常のひとこまですが、しあわせのおすそ分けをもらった気分でした。
そうして、世界のどの子供たちもそんなしあわせな時間を持てると良いのにと思いました。
ここから始める 2015/09/19
2015年9月19日未明 安保法制案は通ってしまった。
夜中のテレビ中継を見ていて、ふうっとため息。
国会前にはまだ多くの人々が反対の声を上げていた。私もその3時間前にはその人波に紛れていた。

それにしても、憲法について、平和について、かつてないほど考え、学んだ数か月であった。
5月にオール埼玉の平和集会に一人で出向いて以来、何度となく国会前の反対デモや集会に参加してきた。
国会前に行くと、私のように一人で参加している人も多く目についた。どのグループにも属していないけれど、やむに已まれず、ここに来ているという人達。
さまざまなチームやグループが活動する中で、とりわけ、SEALDsの若い人たちが私たちを牽引して、心を奮い立たせてくれたと思う。
一方で、いつも国会前に行くと、足をそろそろと運ぶお年寄りの方々に出会った。自宅からここまでたどり着くことさえ、きっと難儀なことであろうと思う。それでも、やはりやむに已まれずの思いで、杖をつきつつも足を運んでいる姿に、胸を打たれた。

デモになんて参加したって無駄、多数決なんだから仕方ないなどと思われていたかもしれないし、疎まれていたかもしれない。
とかく、政治的な話題を出すことは友人間でも御法度な雰囲気がある。
しかし、私は言わなければいけないと思うことは言おうと思う。
嫌われても、疎まれても、友人を失っても、もう怖くないという気持ちになっている。
何をしても変わらないというような冷笑主義には負けない。

先日2015年の世界平和度指数ランキングが発表された。
162ヶ国中、日本は8位である。
1位 アイスランド
2位 デンマーク
3位 オーストリア
4位 ニュージーランド
5位 スイス
6位 フィンランド
7位 カナダ
8位 日本

なんと軍隊を持たないアイスランドが1位である。
ちなみにアメリカは94位、シリアは最下位の162位。
8位の日本はアジアでは1位、しかし今後、この地位を守ることができるのだろうか。

さて、多くの学者達や弁護士達、デモに携わって来た人達が言うように、ここからが始まりだと思う。
もう安保関連法の廃止に向けて動き出している。
共産党・志位委員長は野党共闘「反安保国民連合構想」を打ち出している。野党には団結して頑張ってほしい。
それには、声を上げて行かねばならない。今回、私たち一人ひとりの声が後押しするということをわかったのだから。
絶対に止めるという気持ちで。
壊された立憲主義とデモクラシーを取り返そう。
一人ひとりの声は小さくても、その努力はずっと続けて行かなければならない。
学び、考え、他の意見にも耳を傾け、議論し、これからも不断の努力を続ける。
何も、肩ひじ張って、目を三角にしてと言うわけではなく、毎日の生活の中でそのことを頭に置き、自然にできることをする。
誰かにお任せするのではなく、自分のできる範囲で、またはできる範囲を少し広げて努力して行こう。
ややもすると、諦めたくなる自分を叱咤しつつ。
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