kaiだらけでごめん 海ちゃんのお気楽生活
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熊とにんげん 2014/05/08
急に事務所の移転を思い付き、1月末に思い立ったと思ったら、1回目の内覧で即断、ひと月後には引っ越し、我ながらそのスピーディな決断と行動には目を見張りました。

案の定2月から3月にかけては、物件探しから始まり、引っ越しの荷造り、荷解き、サーバーやパソコンの移転と設定、住所が変わったことによるなんやかやの手続き、もう目が回るほどの忙しさでした。
約13年を過ごした以前のオフィスは、荷物も次第に増え、仕事も段々煮詰まって来ていました。いっそのこと無駄な物は整理してしまうためにもと思い切って環境を変えたら、心機一転、新たにまた頑張る気持ちが湧いてきました。

新オフィスは建物は古いビルだけど、清潔で明るい部屋、近くには区役所、郵便局、駅からは遠くなってしまったけれど目の前にバス停、自宅からは歩ける距離、なんて素敵!

おまけに図書館まで30秒、お昼休みになるとちょくちょく通っています。最近、館内にレストランまでできて、嬉しい限りです。

さてここからが本題です。
先日のお昼休み、いつものように何を借りようかな?と書架をぐるーっと眺めて回っていた時に、ふと目に留まった本「熊とにんげん」。 「にんげん」がひらがなであることに、不思議な感じがして、借りてきました。

おどりができる茶色い熊と7つのまりでお手玉ができるにんげんのおじさんは一緒に旅をします。
おじさんの持ち物は、鉄のフライパンとひとつの音しか出ない角笛と7つのまり。
心根のいいおじさんの友だちは熊と神さま。
ゆっくりと、ひと呼吸に三歩の足取りで田舎道をあるいていきます。

ポーランド生まれのドイツの絵本作家、物語作家、挿し絵画家であるライナー・チムニクの1954年の処女作、上田真而子氏の翻訳です。

暖かいまなざしで描かれたユーモアたっぷりでしかも抒情ある黒白の線画と四季の移り変わりがとりわけ美しく綴られたなめらかな文章、物語はふたりの歩みのように静かに進んでいくのだけれど、ドラマチックな展開で息を飲むシーンもあります。
チムニクの世界にすっかり引き込まれてしまい、読み終わった後は何とも言えない切ない気持ち、けれど清々しい気持ちがじわーと湧いて来ました。

たんたんと過ぎて行く人生なのだけど、時には大変な事件、苦労、戦いも起きます。そんな時にはおじさんは神さまにお願いして、なんとか困難を乗り越えて行きます。
友だちの熊と一緒に。

熊とにんげんが心通じ合う物語、おじさんの得意は熊のことばがわかることなのです。

おじさんのようにたんたんと毎日を過ごし、ことさら騒ぎ立てることなく、困ったときには神さまの力を借りて乗り越え、ある日すーっと静かに消えるようにいなくなる、それでいいなあ、それがいいなあと、そんな風でありたいなあと思ったのでした。

ドイツ語の原題は「Der Bär und die Leute」、単純に熊と人、熊と人間、なぜ、ひらがなでにんげんとしたのか、訳者の感性が伝わってきます。日本語だからこその伝え方ですね。

「熊とにんげん」もう、絶版になってしまっているのですが、できることなら側に置いておきたい一冊です。

因みに、たくさんの素晴らしい挿し絵の中でも私のお気に入りは
51ページの「空がぱっとあかるくひらける季節」
それと、どうしてももう一つ、
61ページ「水たまりにはった 薄氷をふみわる 熊おじさんと 熊」の絵です。
もし、機会があったらぱらりとめくってみてください。
「恩」と言う言葉 2014/04/03
kaiちゃんからもたくさんの恩をもらっています。毎日、恩返ししても追いつきません。

今はもう卒業式で歌わなくなってしまった「仰げば尊し」
この歌の原曲がアメリカの歌であったと知りました。
もちろん、歌詞は全く違うのですが、原曲は「Song for the Close of School」でやはり卒業式で歌われていたのだそうです。

「仰げば尊し」自分のために、ここに歌詞を記しておきます。
 1.仰げば 尊し 我が師の恩
  教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
  思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
  今こそ 別れめ いざさらば
 2.互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩
  別(わか)るる後(のち)にも やよ 忘るな
  身を立て 名をあげ やよ 励めよ
  今こそ 別れめ いざさらば
 3.朝夕 馴(な)れにし 学びの窓
  蛍の灯火(ともしび) 積む白雪(しらゆき)
  忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月
  今こそ 別れめ いざさらば

歌詞が現代にそぐわなくなって来ているのは、理解できます。特に2番の「身を立て 名をあげ 」なんて、どうなんだろうって思います。
でも、メロディも言葉もとても美しい曲なのに、歌われなくなってしまったのは、残念です。
昭和の時代、卒業式と言えば「仰げば尊し」と「蛍の光」でした。この曲に慣れ親しんできた世代にとっては、口ずさめば、今もぐっと胸にこみ上げるものがあります。
でも、寂しいけれど、いつかは忘れられてしまう歌なのでしょうね。

ところで、歌詞の中で繰り返されている「恩」と言う言葉、最近耳にしました。
フィギュアスケートの浅田真央選手が、ソチ五輪でフリーのあの素晴らしい演技の後のインタビューで、
「たくさんの方に支えてもらったので、自分なりの恩返しができたのではないか」
と話していたのです。
その時の恩返しと言う言葉、とても新鮮に響きました。
そうだそうだ、私もいろいろな人たちに助けられて来たなあ、果たして恩返しできているだろうかと胸に手を当てて考えてしまいました。
「恩」と言う言葉、忘れていた気がします。
「恩着せがましい」とか、「恩を仇で返す」「恩知らず」など、負の言い回しもありますが、
「恩返し」「恩送り」実に日本的で美しい言葉だとしみじみ思いました。
華麗なる3大ヴァイオリン協奏曲 2014/01/18
川口リリアでのニューイヤーコンサート2014に行って来ました。
あまりにも素敵な企画で、期待でいっぱい、もちろん、素晴らしかったです。

指 揮:高関 健
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
ヴァイオリン:南 紫音/加藤知子/千住真理子

[プログラム]

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64(南 紫音)
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35(加藤知子)
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.61(千住真理子)

特に、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を千住真理子さんの演奏で聴けるとは、本当に感激でした。
私としては、ブラームスのヴァイオリン協奏曲も入れて、4大で聴きたかったなあと、ちょっと贅沢にも思ってしまいました。


実はこの日は私のお誕生日、息子と娘からのおめでとうの電話にこの年になってもやっぱり嬉しくて、ニコニコ顔になってしまう。

コンサートでうっとりした後は、いつものワイン食堂へ、なんとマスターのパパさんもお誕生日、みんなで乾杯して、とても素敵な一日になりました。

#LIVE
Myスタイルブック 2014/01/07
お見せできるほどのものではないので、クリックしても大きくなりません(笑)

私ほど絵が下手な人はそうそういないだろうと思うのですが、変なことを始めました。
数ヶ月前から、その日の自分のスタイル、着ていた服と靴とバッグ、アクセサリなどを絵に描いているのです。鉛筆でささっと画いて、色鉛筆で色を塗ります。見た目だけでなく、着心地もすごく大事なので、それに関する小さなメモも残しています。
ものの2、3分で描いて、日付を入れるだけ。

ダイエットや健康のために、その日食べたものを記録したりするのは聞いたことがあるけれど、その日何を着ていたかを書き留める人はあまりいませんよね。
でも、これがすごく自分に役立つことがわかりました。

実は、外出前の身支度で何を着ようか迷って、時間がかかり過ぎていたのです。着るものが決まらないと、お化粧もできない、シャドーや口紅だって、何色にするかは問題でしょう。

それに、急いでいると結局、無難ないつものパターンになってしまって、これまたおしゃれのマンネリ化になってしまうのですよね。
そこで、スタイルブックというか、スタイル日記を付けることにしたわけです。

やってみると、これがなかなか楽しいし、かなり有効で、いつもおんなじから脱出して、常にちょっとした工夫をするようになりました。
クライアントとの打ち合わせでも、前回何を着ていたのかがわかるので、次回お会いする際にも同じ服だったなんてことも避けられます。
今まで袖を通すことがあまりなかった服も着るようになったし、違ったコーディネイトを試すようにもなりました。なにせ、新しい洋服はなるべく買わないと決めているので、今持っているワードローブをうまく着回さなくてはならないのですから。

それと、おしゃれは意外性も大事です。
周囲にはこんなイメージと思われていたのに、たまには裏切って、えっ?て驚かせてみましょう。
その日着るもので、自分もわくわく、晴れやかに過ごせます。

いつまでも若く美しくは無理ですが、おしゃれ好きな女性でいたいと思うこの頃です。
だって、断然その方が楽しいですものね。
おしゃれは、やっぱり生活の最重要エッセンスですね。
新しい自分 2013/11/03
紅葉の秋、人生もこの頃が一番美しいのかもしれませんね。あやかりたいです。

今年も2ヶ月を切りました。
過去10ヶ月を振り返ると、反省することばかりです。
だから、早々と来年に向けて、もう決めていること

1.引きずらない
2.研究する
3.発見する
4.進歩する

仕事も、趣味も、日々の生活もこの4つで行こうと思います。
できるかな。一皮向けた自分になれるかな。
単なる愚痴ですが。 2013/10/23
kaiちゃんの笑顔が頼りです。

穴があったら入りたい。
つくづくそう思うことがあります。
恥ずかしくてたまらないと言うことではなく、ただただ
穴の中で、息を潜めて、じーっとしていたいって感じです。
この世界と隔絶して、穴の中で眠っていたい。すべてが通り過ぎてしまうまで。

なーんて、疲れた時にはそんなことを思います。
仕事で行き詰った時、人間関係の煩わしさに閉口している時、物事がうまく進まなくてがっかりな時、もう全部うっちゃって、穴の中に逃れたーい。
あなたにもありますか?そんなこと。

でもそうは行かないのですよね。わかっています。
だから、しんどくても、前を向くしかないね。
わかっているのだけれど。
それでも、しんどいですよね。
特に私みたいに、ひとりだとね。
夫が遠くへ行って、もう丸8年が経つ。
相談したり、弱音を吐いたりできたのは、もはや昔のこと。

こうしてみると、いかに彼に助けられていたのか、今更ながら思うわけです。
あっちでも、同じこと思っているのかしらね。たぶん。
心の重し 2013/10/23
愛する人が亡くなった時は、胸を鷲掴みにされたような痛みを覚えるよね。
あなただって、ご主人が亡くなった時にそう感じたでしょう。
と、友人からの何気ない一言を受けて、何と答えて言いか分からず、思わず苦笑いでごまかしてしまった。

いえいえ、そう言うことじゃない。そう言う悲しみではない。
不思議だけど、その時、ひどく自分が惨めな感じがして、えっ、私ってまだ乗り越えられていない?

気付いてしまったのだ。そうだ、私、まだ乗り越えていなかったんだ。
そしておそらく、乗り越えられることは無いのだ。

それは、夫が逝った数日後だったと思う。
車を運転しながら、ああ、この鬱積する思いはずっと私の心に留まり、消えることは無いのだろうなと覚悟したのだった。
悲傷とも孤独とも喪失とも表現できない、どの言葉も当てはまらない。
まるで、大きな鉛の塊をどすんと打ち込まれたような感じ、
重く暗いどんよりした塊は動くことはない。
一生、この鉛を抱えたまま生きるしかないんだ。
観念して、受け入れる他に道は無い。

夫と共に暮らしていた頃、何はなくとも心は青空だった。
彼と会うまでは、そんな青空を見たこともなかったから、本当に驚きだった。
けれども、その澄み渡った青空をもう、見ることはないと思う。
ただ雲の合間にのぞくことはあっても。
だからと言って、不幸な訳ではない。十分に恵まれているし、しみじみと幸せを感じる日々を暮している。
けれども、そう言うことなのだ。
乗り越えてはいない。
乗り越えることは今後も無い。
ずっと、この重しと抱き合わせで生きて行く。そう、当たり前だが死ぬまでだ。
運動会が嫌い 2013/10/15
今年の体育の日も青空が広がった

体育が大嫌いだった。当然、運動会も。
理由は単純、ひたすら運動が苦手だったからだ。
体育と言う科目がなかったなら、私は本当に心おきなく学校生活を楽しんだことだろう。
体育のある日は、朝から心底憂鬱でたまらなかった。

駆けっこはたいていビリか、ビリから2番目。1回だけ小学3年の時に3等になったことがある。
後にも先にも3等賞が最高なのだから、その時の記憶は鮮明だ。確か胸に黄色のリボンを付けてもらって、嬉しいよりも恥ずかしさの方が強かった気がする。
逆上がりは、生まれてこの方成功したのは、1回だけ。
それも休み時間の必死の練習の時で、誰も見ていなかった。そして、肝心の体育の授業の時にはからきしだめだったのだ。
マット運動の時は吐きたくなっちゃうし、跳び箱の前では急ブレーキ、ドッジボールはただただボールが投げられないので逃げてばかり、
最後に残ると、結局みんなが注目する中、打たれて撃沈。
全く、今思い出しても恥ずかしい。

そんな私、この頃、運動会が楽しみなのだ。
と言うのも、昨年娘夫婦に女の子が生まれて、彼女はまだ1歳なのだが、彼女の走る運動会が楽しみで仕方ない。
彼女を含め小さな子ども達が、一生懸命走る姿はきっと感動的だろう。

少し、心配はある。まさか、私に似て、運動が苦手にはならないだろうな。
いやいや、隔世遺伝と言うこともあるから、楽観はできない。

息子と娘も、私の運動音痴の血を受継ぐのではないかと、内心かなり心配したのだが、決して得意では無いにしても、危惧するほどではなかったようだ。
たぶん、夫のサポートも効をなしたのだと思う。苦手な鉄棒だって、休みの日に教えていたし、子どもは大人のそんな助けがあれば、ぐんと伸びるのだ。

みおちゃんは、まだ1歳、歩くことだってままならないのに、運動会を楽しみにしている、いやはや我ながら呆れてものも言えない。
若冲に会いに 2013/09/19
仙台、岩手、福島の順番で恐らく最後かもしれないプライス展が開催されています。とうとう、今月23日で終了となってしまうので、慌てて福島まで行ってきました。

こんなにわくわく興奮し、愉しい気持ちになった展覧会は初めてです。それほど素晴らしかったのです。

とりわけ子供達を意識した展覧会の構成のせいで、すべての作品をより身近に親しみを籠めて観る事ができました。
例えば、全作品に副タイトルが付けられています。
プライスコレクションを代表する伊藤若冲の大作「鳥獣花木図屏風」は「花も木も動物もみんな生きている」
長沢芦雪の「白象黒牛図屏風」は「白いゾウと黒いウシ」
森徹山の描きかけの作品「松に鶴屏風」は「松をめざしてたくさんのツルがやってきた」といったように。

大胆な構図、奇抜な発想、気の遠くなるような緻密な筆使い、鮮やかな色使い、どれもこれもが驚きの連続で、ため息や感嘆の言葉がついつい口をつきました。

「達磨遊女異装図(「だるま」さんと〈ゆうじょ〉)」は、だるまさんのユーモラスな表情に思わず、笑ってしまったし、「達磨図(だるまさん)」の迫力に目を見張り、「百福図(おたふくがいっぱい)」は、おたふくさんの1人1人がみな生き生きしていて、すごく楽しそう、「柳下幽霊図(柳のしたの幽霊)」は本当にぞぞぞって感じ、でした。
会場にあったレプリカ

白象黒牛図屏風(白いゾウと黒いウシ)のゾウとウシのおおらかな表情、それと小さな横座りの犬がすごく愛らしい。可愛いと言えば、「虎図(あしをなめるトラ)」、目がくりくりでなんとも言えないほのぼのしたしぐさ。本当にまいりました。

最後には、生命のパラダイスと表した「鳥獣花木図屏風」
その場を去ることが惜しくて、いつまでも眺めていました。

江戸絵画の生き生きとした美しさ、力強さ、温かさがぐんぐんと観る者に迫ってきて、心から楽しい気分にさせられた素晴らしい展覧会でした。
当時の人々がいかに豊かな感性を持ち、素直な澄んだ新鮮な目でまっすぐに物事を見ていたかをつくづく思い知り、驚くばかりです。
江戸時代から明治初期に日本に訪れた外国人は庶民の貧しくとも幸福そうな暮らしぶりを見て賞賛したと言われていますが、正しく江戸絵画がそれを証明してくれています。
一方、現代の私達に目を移してみれば、疑心暗鬼のとげとげしい薄暗い世界しか作れていないような気がして残念でなりません。

今回、若冲たちが描いた絵画から、眠っていたおおらかで思いやりのある心を引き出されたような気がしました。
実に、福島まで行った甲斐がありました。
手 2013/07/13
ついつい増えてしまうマニキュア。この夏はマットな水色がお気に入りです。

マニキュアを落として、手を見つめながら、思い出していた。
子供達が小さい頃、手をつないで行った近くのお店屋さんのおかみさんが、私の手を見て、
あーらら、なんてつるつるの手、なんにも苦労知らずの手だねって。
今はお世辞にも言えない。
それでも、色が白ければなんとかなるのだけれど、色黒のしわしわの手だ。
そう言えばと、母の手を思い出した。
若かったけれど、母の手は水仕事で荒れていたなあ。
爪を伸ばすこともなかったし、働く人の手だった。

母は今思い出すと、非常に可愛い女性だったと思う。
町の化粧品店で
「ね、みいちゃん、どの口紅がいいと思う?」
私が大人びたベージュに近い薄いピンクの方を指差すとためらいなくそれを選んだ。
でも、後日、私は心の中で、後悔したのだ。
おかあさんには、赤い口紅の方がずっと似合うって。

親戚のおねえさんの結婚式当日、
田舎の大きな家に集まり、大勢の女性達が着物を着付けたり
お化粧したりしている。
母は留袖を着て、その後、その家の鏡台にあったマニキュアを見て言った。
「つけてみようかしら」
マニキュアなんて、つけたことが無い母だった。
「うん、きっときれいだよ」って私。

でもね、時間が無くて、乾くまでの時間がなくて。
結局、きれいには塗ることができなかった。
落とす術も知らなくて、母の爪は擦れたようになってしまった。
大丈夫、大丈夫って言っていたけれど、私はつけてみたらって言ったことを心底後悔した。

たぶん、私、9歳位だったと思う。

母の人生は私なんかより、ずっとずっと短くてたったの36年間だった。
今でも、ちょっとごつごつした手を口にあてて「ふっふっ」と笑う母の顔は覚えている。
遠い昔のことだけど。
経ってみれば 2013/07/01
--------志茂田景樹氏のツイッターから
‏@kagekineko5月15日
まだ作家生活が不安定だった頃、朝帰りしたら
庭で鉢植えに水をやっていた父がポツリと言った。「人生、経ってみればあっという間だよ」
だから、やるべきことはやっておけ、ということなのか。
2年後、僕の直木賞受賞と引き換えのように父は逝った。
あのとき、僕は父の心を相続したのだ、と今思う。
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心にぽーっと明かりが点くように感じて、書き留めておきました。
息子を労わる父の心情からふっとかけた言葉、
その後にお父上はどんな言葉を胸に仕舞っていたのでしょう。
苦しみも悲しみも喜びも一瞬のことだと。
だからこそ、今を大事に生きろと。
恐らく氏の感じたとおり、だから、やるべきことはやっておけと言いたかったのでしょうか。

「人生はあっという間」私もこの言葉、自分の息子や娘にかけてあげたいなと思います。
それと、こっそり私自身にも。

では、その一瞬のように過ぎ去る一生でやるべきこととは、私にとっては何だろう。
あなたにとっては?

本当に大事なこと、そんなに多くは無いですよね。
これはと思うこと、それだけは手を抜かずにやっておきましょう。

人生は短い。
だから、些細なことに心を奪われず、無駄なことに囚われず、
やるべきと思うことを自由な心で進めよう。
そう決めたら、心が解かれて晴れ晴れして来ました。
What a exciting live it was! 2013/05/10
無事にKraftusのデビューライブが終了しました。
多くのお客様が来てくださって、会場の雰囲気を盛り上げてくれ、演奏もノリに乗って、すごく楽しいライブでした。
ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。
そして、メンバー達、お疲れ様でした。

今までは作曲やアレンジ、MIXなど制作にばかり関わってきましたが、今後は演奏の方にも力を入れたいと本人申しております。
なので、次回もありそうな感じ、、、
1ファンとして、嬉しい限り。

::: Kraftus ::: Live「1st Kraft」@川口Shock on

写真はこちら


#LIVE
#Kraftus
アンジュール 2013/05/10
孫(孫なんて言うと、自分がすごく年取ったのだと自覚せざるおえないのだけど(汗))のみおちゃんはまだ8ヶ月ですが、もう少し大きくなったら絵本を読み聞かせて上げたくて、この頃、絵本をやたら調べたり購入したりしています。

そんな中、見つけたのがこの本、車から投げ捨てられた犬のお話、
「アンジュール ガブリエル・バンサン作」
文章は無く、鉛筆で描かれたデッサンだけの絵本ですが、読むなり、うっすら涙が出てしまいました。ページをめくるごとに引き付けられて、犬の行く末を思い、どきどきしてしまいました。

ちなみに、アンジュールと言うのは犬の名前ではありません。
原題「UN JOUR,UNCHIEN」ある日一匹の犬が・・・と言う意味だそうです。
真に胸にせまるものがあったので、
どうしても、この本の存在を誰かに教えてあげたくなりました。
人類の英知の結晶 2013/05/08
小学生の頃、社会科で日本国憲法について学んだ時、基本的人権について、戦争放棄について、非常に感動したことを今も忘れません。
子供ながら、なんて美しいんだろう、こんな素晴らしい平和と愛に基づく憲法を持つ日本に生まれて良かった、日本人として心から誇らしく思ったのでした。

最近になって、憲法を改めて読んでみると、子供の頃に感じたと同様にこれは真にすごいなあと驚いてしまいます。
東京新聞の今朝の朝刊に憲法76条が規定する裁判官の独立についての記事が掲載されており、元裁判官井戸謙一氏が「憲法は人類の英知の結晶」と述べておられました。私も心からその言葉に同感します。

他国から押し付けられた憲法だから、改正するべきとの意見がよく聞かれますが、もしそうであるならだからこそ、利害を優先するのではなく、正に「人類の英知の結晶」として、日本国憲法が生まれたのではないでしょうか。
押し付け憲法論などで判断するのではなく、内容が良ければ誰が作成したものであれ、それで良しと思うのですけどね。

非常に興味深い記事を見つけたので、以下に挙げておきます。
「憲法9条は,日本側からGHQに押し付けた妙策だった」

現在、安倍首相は憲法改正に向けて、突進しているように見えます。その突破口として96条改正に意欲的です。
自民党草案を読みましたが、国家権力を抑制するのではなく、国民を縛ろうとする恐ろしいファシズム的内容に驚き、戦慄さえ覚えました。

憲法改正に向けて、急に騒がしくなった昨今、しかし、憲法を学習しないままに改正に賛成、反対をかざすことはできません。時代にそぐわなくなったのなら、どこがどのように合わなくなっているのか、焦ることなく考え、議論を交わしていくべきです。
私達の生活に直結すること、未来の子供達に残されること、こんな大切なことを決めるのに、急かされるのはごめんです。
そう言いつつも、私は根っからの護憲派、96条改正絶対反対、9条死守ですが。
改憲バスに乗る前に(江川 紹子)
フランシス・ベーコン 2013/04/28
フランシス・ベーコンと聞けば16世紀のイギリスの哲学者を思い浮かべてしまうのですが、先日、アイルランドの画家であるフランシス・ベーコンの展覧会へ行ってきました。ベーコンは、ピカソと並んで20世紀を代表する画家、なのに、私は知りませんでした。

竹橋で仕事の打ち合わせがあったので、その帰りに開催中の東京国立近代美術館に立ち寄りました。何の知識も無く、会場に入り、目に飛び込んで来た絵を見るなり、強烈なショックを受けました。実際、私の後ろに続いて来た女性は、「わっ、すごい」と口に出して小さく叫んでいました。

絵が発する凄まじい不安感と嫌悪感、謂われの無い絶望感に圧倒されて、すぐさま、私はこの展覧会に来たことを後悔し始めました。
亡霊のような顔の不気味に大きく開けた口からは、今にも狂気の叫び声が聞こえてきそうです。体を二つに折り曲げうなだれている女性らしき人物からは、悲痛なうめき声が漏れてきそうです。

壁に掲げられたベーコンの言葉は強烈でした。
「17の時です。はっきり覚えています。舗装道路に犬の糞があって、それを見ているうちに突然思ったのです。これだ、人生とはこういうものだ、と。おかしなことですが、それから数カ月間悩みました。そして、言ってみれば、事実を受け入れたのです。自分は今ここにいるけれど、存在しているのはほんの一瞬であって、壁にとまっている蠅のようにたちまちはたかれてしまうのだ、という事実をです。」

その感覚は、ベーコンの作品の根になっているのでしょうか。果たして、ベーコンは死ぬ時までそのように人生を捉えていたのでしょうか。80歳を超えて描いた最後の三幅対からは、複雑過ぎて容易にその意図を掴むことはできませんが、片方の足を死の暗闇に踏み込んでいるような、そしてその事実をしっかりと受け止めているような気がしました。

それほど多くはない33点の作品、晩年の作品になるほど、どろどろした感じは薄れ、シャープ且つドライで洗練されたデザインに変化したように受け取れました。
またベーコンから影響を受けたと言う舞踊家土方巽やペーター・ヴェルツ&ウイリアム・フォーサイスの映像も流れており、それらをも鑑賞して、外へ出た時にはすっかり疲れきってしまっていました。

さて、その後数日が経ち、それらの絵が私の頭から離れてくれないのです。誰にでも、どこか不吉な忌まわしい感情が心の奥深くに眠っているのかもしれません。だから、怖いもの見たさと言ったら変ですが、その絶望と無力感、ひいてはあきらめで固められたような絵を真実として垣間見たくなるのでしょう。

最後に、ひどく散らかった足の踏み場もないようなベーコンのアトリエの写真が大きく飾られていたのも印象的でした。
ベーコン展は強烈な記憶として私の中に残り、おそらく忘れることは無いでしょう。もしかしたら、その記憶は時と共に、その鮮明さを増して行くかもしれません。
お気楽ご機嫌で行こう 2013/4/19
楽しいことやいいことについて話そう。
不平や不満じゃなくて、元気が出る話をしましょう。
そう、常々思っているのですが。

でもね、そうは言っても、やっぱり落ち込むこともあるのよね?。
特に仕事の上では、思うように行かないことの方が多いし、やたら横柄で無神経な人間に会うこともあるし、いえ、いやな人と思っても、勝手に私が思い込んでしまっているだけで本当はすごくいい人かもしれないけれど、大体、他人のことをとやかく言えるほど、私もできが良いわけではないし、、、
それに何より、自分の至らなさに嫌気が差すこともあるし、なんだか自分が惨めに思えて、ふーっとため息付いちゃったりすることもあるのです。

だけどだけど、目を閉じて首を振り、ぴたぴたっと頬をたたいて、気を取り直す。
さあ、機嫌なおそうね。
機嫌良く振舞うことで、いつの間にか元気が出て来る感じがするよ。
機嫌って本当に大事です。
機嫌がいいと、自分も周りも明るくなりますよね。
kaiちゃんのように、いつもご機嫌さんで過ごすのが幸せへの一番の近道のような気がします。
今、夢中なのは 2013/04/15
ヴァイオリン協奏曲 作品61が現在の私の夢中の源

休日の愉しみの一つはゆっくり音楽を聴くことです。
朝、目覚めたら、いの一番にアルバムを選んで針を乗せます。

さまざまなジャンルの音楽を聴きますが、ここ数ヶ月はクラシックにはまっています。
ヴィヴァルディに始まってハイドン、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ショパン、ワーグナー、ロッシーニ。
学生の頃に音楽室で聴かされた時にはあんなにも退屈に感じたものなのに、今は奏でられる一つ一つの音が生き生きと迫ってくることに、ただただ驚いています。

それらの音楽が数百年を超えて人々に受け継がれ愛され、いつの世にも計り知れない感動を与える理由は、どこにあるのでしょうか。
そんなことを思い巡らしている内に、「生を肯定しているから」ではないかと思い当たりました。生きていることの歓喜をはばかることなく歌い上げて、聴く者に勇気や希望や愛を存分に浴びせてくれるのです。

とりわけ、私が繰り返し聴いているのがベートーヴェン。
自分でもおかしくなる位に、寝ても覚めてもベートーヴェンの曲が聴きたくて仕方がありません。
あの有名なハイリゲンシュタットの遺書を書き、絶望の淵をさまよいながらも、湧き上がったのは生きていることへの感謝と喜び。
恐れ多いことですが、
「ベートーヴェンさん、ありがとうございます。こんなにも素晴らしい音楽を残してくれて。」と
心から感謝してしまいます。
もはやムラカミフリークではありません 2013/04/12
私にとってのベストは「羊をめぐる冒険」

正直、1Q84を読んでから、もう彼の作品は読まないだろうと思いました。
上中下の長編を、読み進める内に投げ出したくなりましたが、それでも読み終えたのは、これで終わるはずが無い、きっと何か響くものがあるはずだと期待していたからです。
しかし、読み終えて、正直、失望してしまいました。
奇をてらった設定や物語の節々は刺激的ではあるのだけれど、示される暗示的な事象に深い意味を見出すのは難しく、強烈に引き付けられる言葉も見つけられず、結局ストーリーもしり切れていたから。
何より、魅力的な人物はそこには登場しないことがとても残念でした。
これはすべて私にとってと言うことで、要するに、より前衛的になって行く村上氏の作品に、私が付いて行けなくなったと言うことに過ぎないのでしょうが。

3.11の後、原発を容認して来た日本人全体をあれだけ批判したのに、その後の村上氏の言動は伝わって来ません。
多くの時間を外国で過ごしながら、遠くから日本をどう眺めているのかなあなんて思ってしまいます。
実は過度の期待と分かっているのですが、この2年の間、何かのアクションを起こすなり、メッセージを発するなりして欲しいと願っていたからです。

今日、村上春樹の長編小説[色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が発表されるとメディアは大騒ぎです。しかし、1Q84で彼から離れてしまった読者も多いのではないかと私には思えてなりません。
何も、そんなに大騒ぎをしなくてもいいのでは?
他にも評価に値する作品はいくらでもあるのにと思います。
今は商売上手の村上春樹と言われても仕方の無いことのように映ってしまいます。
が、しかし、私もこんなことをここに書いているくらいだから、踊らされているのかもしれませんね。
春なので 2013/03/06
髪を切りました。
今までのほとんどの人生をロングヘアで過ごして来ました。
一度だけベリーショートにしたことがあったけれど、あまりの似合わなさに、
ものすごく後悔して、その時、決心しました。
「これから先、絶対に髪は肩より短くは切らない」

ヘアスタイルを決めるのに、ヘアカタログをインターネットで探し、10パターンほど印刷して周囲に相談してみました。
ごめんなさいね。他人の髪型なんてどうだっていいのにね。
親身になって考えてくれてありがとう。

さて、どれが、一番似合いそうか。
私の心の中では、思い切って決まりを破って、ショートボブに決めかかっていたのですが、
みんながみんな、ミディアムレングスの可愛らしい髪型のその一枚を選んでくれたのでした。
別々に相談したのに全員一致、やっぱりこれかって感じでした。
本当は、私もこれがいいなあと第一番には思ったのですが、
さすがにこの歳になってという感じで、 気後れしたので選ばなかったスタイルです。

危うく、ショートヘアにしてしまうところでしたが、
せっかく選んでもらったのだから、そのスタイルシートを持って、美容院へ行って来ました。
自分ひとりで決めてしまわないで良かったです。
自分らしさって、わかっているつもりでも、
実は他人の方がより的を得ているものなのですね。
客観的な意見を聞くって大事です。おかげで、違和感なく、自然な感じに仕上がりました。
それなりに私らしくです。

肩より短くはなりませんでしたが、
ふんわり髪も軽くなり、
おまけに新しいアイシャドーとネイルエナメルを買って、
それだけで、うきうきな気分の今日この頃、春の日です。
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