kaiだらけでごめん 海ちゃんのお気楽生活
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雨もよいのころ 2021/07/18
Cozy Theater 2021 「雨もよいのころ」by Akira Fuse
銀座博品館劇場

あまりにも素晴らしかったので、書き留めておこうと思います。
Cozy Theaterは布施明さんのいつものコンサートとはちょっと違って、布施さんの書下ろしの脚本によるひとり芝居と歌の舞台です。
毎年のように梅雨時に開催されていましたけれど、昨年はコロナのせいもあってか、行われませんでした。今年も無いのだろうなと諦めていたら、思いがけず開催されると聞いて、思わず小躍り、心待ちにしておりました。

最初からびっくりの主人公の登場、眼鏡をかけて、コートをひるがえらせて、四角い革のかばんをぶら下げて、非常口の扉から息を切らして走りこんできました。そんな調子で汗をふきふき始まった素敵な物語、何が起きるのかと否が応でも引き込まれてしまいます。
小さな劇場、それも少し古びた感じが懐かしい劇場だから、余計に雰囲気は盛り上がります。

ひとり芝居は時折くすっと笑わせるおかしな物語ながらも、さみしさも悲しみもいっぱいです。誰でもが胸に持つ悲しみを、すいっと軽くすくい取り、いとおしむようにそおっと包んでしまうお芝居です。布施さんはひとり芝居なんてものではなく、ひとりふざけですなんて言ってましたけれど、決してそんなことはありません。

歌う歌一つひとつも物語となって、やさしく差し出されてきます。ピアニストの井川雅幸さんと二人だけで紡ぐ舞台、その表現力の広さと深さ、力強さに圧倒されてしまいます。最初から最後まで、アンコールが終わるまでも、ひとつの物語なのです。

布施さんの作詞作曲、もしくは外国の曲に布施さんが詩を書いた曲、ヒット曲の陰に埋もれてしまいがちだけれど、すごく素敵な曲がたくさんあります。今回はそれらを中心に歌ってくださったので、とてもとても嬉しかったです。念願が叶ったように思います。

最後に、布施さんと井川さんがつないだ手を大きく上に持ち上げて挨拶されたカーテンコール、お二人の満面の笑顔、なんて励まされたことでしょう。少々背中の丸まったお二人(ごめんなさい)が、ものすごく頼もしく眩しく見えました。

パンフレット、いつもは購入しないのだけど、今回は買いました。
その中のインタビューになるほどと思うことが書かれていました。
布施さん、曰く、1時間45分のショーが一番良くて、そこから15分も20分も長くなってはダメ、長くなることはそれだけ気を惹こうとして余計なことをして、無駄な悪足掻きをしたからだと。
今回のショーは予定100分と書かれていました。2日間に3回のステージ、でもまさか、2日目に昼と夜の2ステージなんて、かなり無謀だと思いますよ。
わたしが観た最初と最後のステージはもちろん時間通りに終わり、しっかりと心に刻まれました。
素敵な思い出をありがとうございました。ささやかなわたしの物語の本に、小さいけれどきらりと輝く栞が挟まれました。

#LIVE
絵を描く人 2021/06/18
若かった時、自分の肖像画をもらったことがある。油絵のような大げさなものではなくて、スケッチのような絵だ。実物よりもずっと生き生きと美しく描いてくれた。それなのに、いつかどこかに失ってしまった。大切に扱わなかったことを後悔している。

ある時、駅の地下道の雑踏の中に彼を見つけた。彼もこちらに気付いたようだった。でもあっという間に人の波に飲まれて見失ってしまったのだった。そんなものだ。すれ違っていくのだ。

もうずっとずっと昔の話、顔も名前も忘れてしまった。それでも悔いとして心に残っている。あの時、わたしを描いてくれた人、どうしているだろう。今も絵を描いているだろうか。

高校時代の同級生で、絵を描く人がいた。特に仲が良かったわけではないけれど、どんな絵を描くのかとても興味があって、いつか見せてって言った。驚いたように彼女の顔がぱっと輝いて明るくなった。

卒業して、ずっと後に彼女から電話があったらしい。もう、その時はわたしは家を出ていたから、何年も経ってからそのことを聞いたのだ。絵が描けたからと連絡してきたのだった。

いろいろあって、連絡せずじまいだった。申し訳なかった。きっと落胆しただろうなと思う。他の友人のことは忘れてしまったのに、彼女のことは時々思い出す。今も絵を描いているだろうか。

絵を描く人に憧れる。自分にも少しでも画才があったなら、どんなに素敵だろうと思う。中学生だった頃、美術の先生が描いていた東京駅の絵を見せてもらったことがある。強烈な美しい絵だった。その空は紫色だったことを、今も覚えている。
フラメンコ・ギター 2021/04/22
ヴィンセント・アミーゴはスペインのフラメンコ・ギタリストです。
子どもの頃から、フラメンコ・ギターに憧れていましたが、その熱はずっと冷めません。
最近BGMにしているのは、アルバム「De mi Corazón al Aire」と「Vivencias Imaginadas」です。特にLimon de Nataの曲が大好きです。

午後3時のブレイクには、窓から見える空を眺めながらコーヒーをすすり、頬杖ついて聴いています。

やっぱりいいわあ、フラメンコ・ギター!

Vincente Amigo
Vivencias Imaginadas
朝雨 2021/03/13
土曜の朝
雨の降る音と遠くの風の音
雨だれがリズムを刻む

乾いた地面は喜び、明日にも息吹かんばかりに樹々は天を見上げる
芽を出したばかりの可愛らしい青草は驚くばかり
彷徨っていた埃たちはみな雨粒に抱かれて地に落ち着く

春の雨ね
はじめの雨なんだ
今日は一日、降り続くだろうね
素敵な日になりそうね
微笑みの日になりそう
ひとの心の奥をどうして探ることができるだろうか。20/10/23
ひとの心の奥底にあるもの、誰も推し量れないだろう。どんなにちかしいひとであっても。
だから、ずっと心に引っかかっていました。

わかり合っていると思っていても、心の奥深いところまで触れることなど、できようもない。
心の奥にどんな葛藤を抱えているか、察することはできても、自分ごとのように感じることはできない。
わからないからこそ、思いめぐらし心配してしまう。
ずっと、そんなことを思って過ごしてきた。彼の心深くには何が起きていたかと。
いなくなってしまった後も、ずっと考えてきた。今のことのように心配していたのだ。
でもようやく時を経て、気づいた。彼の心の奥底に眠っていたであろうぬくもりを感じられるようになったから。きっと大丈夫だと思えることができて、やっと安心することができた。
おかしなことだが、彼の行き先を心配していたのだ。ひとりでさびしく過酷な旅を強いられていないだろうかと。
でもそれは違う。きっと違う。
彼は安らぎへと帰って行ったはずなのだ。
それは願いではなく、確信に近い。
いつか会えた時には、頬を両手で挟んで、もう心配させないでって言うつもりだ。
困りながら笑ってこたえる彼の顔が思い浮かぶ。
よしろうさん 2020/09/01
                   絵:山本かなこ
よしろうさんはわたしのいとこにあたる。
といってもすごくおとなで、わたしより20歳以上も歳が上だったと思う。
たまに我が家に訪れて、その時は決まって父とレコードをきいていた。
小さな部屋に寝転んで、目を閉じて、かすかに爪先を動かしながら。
シューベルトだったように思う。
色が白くて背が高い人だった。言葉を交わした記憶はないけれど、優しそうなたたずまいの人だった。
ずっと後になって、よしろうさんが死んだと知った。公園で木に掛かって自ら死んだのだった。

マコトおじさんは、ピアノがひけた。というより。ぴあの弾きだった。それを生業とした人だった。
どうしてピアノが弾けるようになったのかは謎だけど、バーやクラブで弾いていた。
ある晩、我が家に来たときにわたしの小さなオルガンを弾いてくれた。
おじさんが帰るとき、父が言った。
おい、上を向いて歩けよ。前を見てな。
おじさんは笑いながら言った。
ああ、でも下見てるとたまにはいいこともあるのさ。
それから何年後かに、どこか知らない街でおじさんは死んだという知らせが入った。
お葬式はなかった。

傍目には悲しい人生に映るけれど、本当のところはわからない。
何が幸せで、不幸かなんて誰にも決められない。
ただ、まだ10歳にも満たない幼いわたしの胸を打つ出来事だった。
よしろうさんもマコトおじさんもいったい何を見つめていたのだろうか。
何をつかもうと手を伸ばしていたのだろうか。
果たしてそこにたどり着いたのだろうか。

この世界は悲しみに満ちている。
でもそれと同じくらいに、愛にも満ちている。
嘆きうちひしがれても、見上げれば満天の星が煌めく。
風がふわりと頬を撫でていく。
朝にはやわらかな日差しが窓に差し込む。
目を閉じてあなたは
握った拳を胸にそっと押し付けるだろう。
夕には萎れてしまう青草であっても
豊かな雨に濡れてぴんとその葉を伸ばすのだから。
眩しいほどの色 2020/07/29
緑色のワンピースを買った。

あまりにも鮮やかなミドリなので、ちょっと気が引ける。
こんな緑、目立つだろうな。やっぱり、無理かなって思う。
でも、気を取り直して、着たいものを着ることにした。自分のイメージに忠実に。

年相応ってことも、頭をよぎる。
いやいや、しかし、やはり着たいものを着るのがいい。

いいのさ。わたしが見る世界はわたしの世界なのだから。
誰も知ったこっちゃない。
自分の着たいものを着るのに、文句なしだ。

って、勇気出してこの春買った鮮やかな緑色のワンピースを着て、出かけることにした。
美人と言ったらだめ 2020/06/08
あるネットの記事で読んだのだが、スウェーデンでは他人と比較するということをことごとく嫌うそうだ。と同時に「見た目について言及しない」ことが徹底しているのだそう。
あなたは可愛いね、美人ねというのもご法度だそうだ。
(という記事を読んだのだけど、もし間違っていたら教えてください。)

ひとを見かけで判断しないことは大事なことだ。
だからと言って、
美しい顔と言ってはいけないのか。
それはだれかを醜いと言うのと同じか。

例えば、背が高いねとは言わないほうがいいだろう。もしかしたらそのひとは背が高いことにコンプレックスを感じているかもしれない。今では全く気にしないけれど、子供の頃、小さいわたしは背が低いと言われるのは嫌だったから、同じことではないか。
顔が小さいというのももちろんだめだ。
色白ねって言うのもよろしくないだろう。
肌がきれいというのはどうだろう。
さて、どうしようかと迷い始めた。どこまでを褒めていいのかしら。

あなたは美人だ、可愛い、彼はハンサムだと誉めているつもりでも、それは暗にその他の人はきれいじゃないと言っている、比較していることになる。
それを聞いて、どこかで傷つく人がいないとも限らない。

努力ではどうにもならないような先天的な外見について、口にするのはやめた方がいいと感じている。それは極端に言えばルッキズム(外見至上主義)に加担していることになるのかもしれないから。
 
このことはわたしにとって、衝撃の気付きだった。気付いて本当に良かった。今まで外見を褒めることをさんざんして来たからだ。反省しなければならない。これからはよくよく考えてから言葉を発しなければと心に命じた。
潔く、容姿については口にしないことにした。
ある日、みおの疑問 2020/05/10
みおね、誰にも答えられない疑問があるの。
へえー、どんな疑問?
『うーん、今ってどうして今なんだろう。今ってどうしてあるのかな。』
そんなことを言っていた。

7歳で、しっかり哲学してるよねって息子に話したら、
え、それって哲学じゃなくって物理でしょって言われた。
ぎゃふーん、そうだ、確かに物理だ。
そう言いながら、ハイデッガーの「存在と時間」のことを思い出した。
存在を考える時に時間的なものはかかせない。
すでにあった自分と今ここにいる自分、そして将来の自分、確かにすべてわたしの存在であり、
しかもそれは死という終わりに向かう存在だ。

ソクラテスの時代では哲学も物理も天文学も、数学も音楽もみんな一つの学問だった。
垣根がないからこそ、さぞ面白かったに違いない。
きっと広い視点を保ちながらも中心をじっと見つめてぐるぐる回っていたのだろうな。
いつの時代も真理を見つけようと、ぐるぐる回っている。
アインシュタインだって、自分の出した命題に答えられなくて、頭を抱えていたらしいから。

地球や宇宙や時空について、はるかに思いを馳せてみたら、
些細なことに振り回されて右往左往している人間たちが、とたんにちっぽけに見えてくる。
自分なんてあたかも塵のようにすぐに消えて無くなる存在だと承知しているけれど、
自分だけでなく、この世界のものすべて、はかない存在、時の流れに埋もれてしまうのだな。

今ってどうしてあるのだろう。今を生きている自分はどうしてここにいるのだろう。
みおちゃんとわたし、今どうしてここで出会ったのだろう。果てない時空の嵐のような只中で。
不思議だ。大きな驚きだ、ほんとびっくりだ。そう、何もかもが驚愕でしかない。
いつかはすべてが失われてしまっても、その先もずっと続くだろう。
永遠も一瞬も同様に、きっと今ここにあるにちがいない。
AVISHAI COHEN 2020/02/29
ここ最近、いつも夜眠る前に聴くアルバムはAVISHAI COHEN の「Gently Disturbed」
今一番好きな音楽です。
AVISHAI COHEN (アビシャイ・コーエン)はイスラエルのベーシスト、昨年の東京ジャズで知りました。なぜもっと早く彼を知らなかったのかと心から後悔しています。

美しくも哀愁を帯びた繊細な音楽に心揺さぶられます。
深い海の底にゆらゆらと沈んでいくような、でも決して暗闇ではない、光も不思議に差し込んでくる。
曲想もリズムも斬新で思いがけない、意図的にずれて奏でられるのに調和しているその心地よさ、とめどなく降り注ぐ音の雨に心底驚かされます。
白い砂漠の彼方から、あるいは鬱蒼とした森の奥から聴こえる音楽。
そんな音楽を聴きながら眠りに落ちていきます。

「Gently Disturbed」2010年
AVISHAI COHEN(b)
MARK GUILIANA(ds)
SHAI MAESTRO(p)

ストリングスを起用した2014年のアルバム「Almah」も素晴らしいです。
待つということ 2020/02/21
鷲田清一氏の「「待つ」ということ」という本を読んでいる。わたしには難解な箇所も多々あり、何度も読み返しながらなので、薄い本なのになかなか先に進まない。
なぜこの本を読もうとしたのか、それはもうこのタイトルに惹かれたからだ。待つ、、ひとそれぞれだろうけれど、わたしにとって「待つ」とはものすごく日常のことで、ずっとそれだけで、待つことだけで過ごしてきたと思うくらいだからだ。
ひとはみな待つことに疲れている。人生の多くの部分が待つという作業に費やされている。

スマホやインターネットのおかげで、この頃は待つ必要が減ったかもしれない。待ちぼうけでいらいらすることも無くなった。
それでも試験の結果を待つ。恋人からのメッセージを待つ。友人からの返事を待つ。蒔いた種の芽が出るのを待つ。花が咲くのを待つ。収穫の日を待つ。風が止むのを待つ。雨が上がるのを待つ。ビジネスにおいても待つことだらけである。

期待のできる良いことばかりではない。ものごとは待つことがなければ、始まらないし終わらない。

子どもの頃はひたすら自分が大人になるのを待ちわびていた。自由に飛んで行きたかったから。自分で自分を決めたかった。大人になってほんとうにそうなったかどうかはともかくとして、とりあえずわたしは家を出て自由を得た。

10代の頃はいろんなものに憧れて、ただ目的も無く待つことを愉しんだ。決して来ることの無い人を待つなんていう、馬鹿げた行動も今となってはいい思い出だ。クリスチャン・オステールの「待ち合わせ」のフランシスの気持ちがわかる。フランシスは約束もないのに、当然来ないと分かっていながらも、別れた恋人クレメンスを待ち続けるのだ。100%だめだとわかっていても、ひとは待つことがある。

結婚してからは尚更、待つことの連続だ。毎晩、夫の帰りを待つ。彼からのカエルコールを待つ。こどもの成長を待つ。こどもが熱を出せば、ひたすら快復を待つ。家族の節目節目では幸せなことであっても、待つことがどうしたって伴う。

悩みがあればそれが過ぎ去ってくれるのを待つ。たいてい自分一人で解決できる問題ではなくて、相手がいることだから、相手の気持ちが変化するのを待たなければならない。ひたすら待つのだった。自分に色々と言い聞かせ、なだめながら。
じっと静かに待つというのが、わたしのよく生きるための秘訣だ。困難な中にいても、状況は常に変化する、同じ状態は続かないと胸に刻みながら、我慢して待つことだ。そうやって一件落着するのを見届ける。

時には愉しい「待つ」もある。指折り数えて、どきどきわくわくしながら待つ気持ち、ああ、懐かしい。

春になったら旅行に出よう、コンサートに行こう、友人と会おう、予定を立てる。その日を楽しみに待つ。
仕事が一区切りするのを待つ。クライアントから注文の知らせを待つ。いつか仕事から解放される日を待つ。
そうやって、今もやはり待っている。季節が過ぎるのを。明日が来るのを、来月になるのを、来年になるのを。
ようやっとたどり着くのは、生命の終わり。それは誰にでも訪れるのだから、どういう姿でやって来るのか、驚かずに待っていようと思う。
そして、実はその後のこともわたしは期待して待っているのだ。
呻くっていったい、、 2020/02/21
演奏中のうめき声で有名なKeith Jarret、「The Melody At Night, With You」ではあまりその声が聴こえません。

わたし、〜時々呻くのですよ。うーーーとか、あーーーとか
わめきではありません。うめきです。
まず、背筋を伸ばして、上を向いて、目をつむって、尚且つこぶしを作って、あーっと一息で。
下を向いたらダメです。空を見上げる感じです。

苦しいとか悲しいとかの感情的なことではないんです。ただ、声に出してみると、それが気持ちいいってわかったのです。
胸に溜まっていた要らないものが外に出て行くような、いえそうゆうことでは無いかな、、、うまく説明できないのだけど、思い募って湧いた泡達がいったん外に出て、その後、一つにまとまって塊となって再び納まるのです。
そんな時の顔、もちろん他人には見せられませんけれど、眉間にも鼻筋にもしわを寄せて、おかしな顔をしていると思います。
数回くりかえして、最後に深呼吸をしておわり!

恥ずかしいから内緒にしておきたかったのですけど、自ら暴露してしまいました。もしかしたら誰かの役に立つかもしれませんからね。この呻き、意外と効果あります。胸がすいっと楽になるので、どうぞ試してみてください。

ジャズ・ピアニストのキース・ジャレットよろしく、天を仰いで、あうーっと一声。
やってみてください。軽くなった気分を味わえますよ。
OLE BORUD LIVE 2020/02/02
コットンクラブでのOLE BORUDのLiveに行って来ました。思った通り満席で、会場の雰囲気は熱気でいっぱい、すごく盛り上がりました。
OLE BORUD(オーレ・ブールード)はノルウェーのシンガー・ソングライター&ギタリストです。
北欧らしい、繊細で美しいメロディと魅力あるヴォーカル、かつてはへヴィー・メタル界で活躍していたという、なるほどその片鱗もうかがわせるようなシャウトも混じる声は素晴らしい、そしてギターもすごくいいです。

知っている曲もいっぱい演奏されて、嬉しかったです。変わらぬいい声と熱気あふれるステージ、とても満足なLiveでした。
終了後、サインをもらう人たちの長蛇の列を横目で見ながら、いそいそとウキウキしながら帰ってきました。
オーレ・ブールード、すごくいい、すっかりファンになってしまいました。


#LIVE
自己満足ですけれど 2020/01/20
ほとんど毎日、メイクをします。誰にも会わない日であっても。

鏡に向かえば、理想には程遠く、整っているとはお世辞にも言えない顔、でも愛着があるというか、当たり前だけど、何十年ものお付き合いだし、ほっとするというか、やっぱりこの顔がわたしなのだと思うしかありません。

歳を取って、ある日、シワを見つけた時 の衝撃ったらない、こんなところにシワ、とうとう!
シミもいっぱい、でもある女優さんが言ったそう。シミは水玉って。美人だからそう思えるのかもしれないけれど、とりあえずそう思えば愛らしくも思えてきます。

シミもシワも、タルミもいいではないですか。それもわたしなのだから、それも歳を取ってこそ得ることができた魅力なんだと思うことにしています。
確かに若くピカピカの顔は、文句なく美しいけれど、何十年と年を重ねないと得られない美しさもあると思いませんか。
新品には新品の、古いものには古いものの良さがあるものです。ちょっと、負け惜しみですけどね。

誰に会うということではなく、自分のためにメイクをして、より自分らしさの中にある眠っている魅力を引き出せたらいいなと思うから、自尊心のお手伝いです。
自分を大切に思う気持ちがそうさせます。

この頃は多くの人がシミはレーザーで取り、毎週のようにエステに通うって、それって普通のことなのですか。
いえいえ、わたしにはそれはとても無理、そんな余裕は無いし、第一たぶん取りきれないです。

シミもシワもタルミも時が作ってくれた愛しい産物。まあこれ以上増えないようにと願いながらも、抗うことなく、その歳相応の美しさに気付くことができますように。
祈るような気持ちで願いつつ、毎朝鏡に向かいます。
楽しいですよ、メイクって。
ERIC MARIENTHAL SUPERBAND 2019/12/30
今月二度目のCotton Clubです。
ERIC MARIENTHAL SUPER BANDのライブに行って来ました。
ラッキーなことに、たまたまぽっかり空いていたセンターマイクの真ん前、一番前の席に案内されて、始まる前から期待でドキドキ。そう、ERICさんは目の前に立つわけです。
こんな席に座れるなんて、まず無いこと。一人で行くと、こんないいこともあるのです。
東京ジャズでチック・コリア・エレクトリック・バンドがもの凄く素晴らしかったのだけど、サックスで参加していたエリック・マリエンサル、再び観られるなんて、なんて幸せなことでしょう。

そして、メンバーがまた凄いミュージシャンばかりです。
ERIC MARIENTHALの熱のこもった演奏に感激し、MITCHEL FORMANのキーボードテクニックに驚き, DEAN BROWNの安定したしかもパワフルなギターとその独特の演奏スタイルに思わずにんまり、ANDRE BERRYのベーステクニックにうなり、
CHRIS COLEMANの楽しそうな終始満面の笑みに思わずこちらも笑顔になり、
超絶技巧のステージは大盛り上がりでした。「凄い!素晴らしい」と言う言葉を100回並べても足りません。

終了後は皆さんに握手できたし、ちょっとだけERICさんとお話しできたし、音楽の素晴らしさをめいっぱい感じた夜でした。

エリック・マリエンサル・スーパー・バンド・
ウィズ・ミッチェル・フォアマン, ディーン・ブラウン,
アンドレ・ベリー & クリス・コールマン

MEMBER
Eric Marienthal (sax)
Mitchel Forman (key)
Dean Brown (g)
Andre Berry (b)
Chris Coleman (ds)

#LIVE
OZNOY TORIO Amazing Live! 2019/12/11
Cotton ClubでOz Noy trioのライブを楽しんできました。
予想通りに素晴らしいLIVE!
このところずっと彼の音楽に夢中になっています。
この熱は当分醒めそうにありません。

オズ・ノイはイスラエル出身のギタリスト、個性的で斬新なそのギター、エッジの効いた音楽、一度聴いてすぐに虜になってしまいました。
ありきたりな言葉だけれど、これこそめちゃくちゃ「カッコいい」音楽なんです。
このライブも息もつけないほどの展開で、スリルある演奏に思わず首を振りながら目を丸くしてにんまり、笑顔になってしまいました。

今回TRIOを組んでいるのはベースにジョン・パティトゥッチ、ドラムにキース・カーロック、文句の付けようがありません。
東京ジャズで観たジョン・パティトゥッチの演奏を間近で聴けるなんて感激でした。想像よりもずっと若々しくてダンディ、お洒落な雰囲気の方でした。
そして、ストイックな演奏スタイルのキース・カーロックのドラム、最高でした。今、最も実力があると言われるカーロック、目を細めて一心に叩いていました。

OZ NOY TRIO with JOHN PATITUCCI & KEITH CARLOCK
MEMBER
Oz Noy (g)
John Patitucci (b)
Keith Carlock (ds)

#LIVE
幻のよう 2019/12/08
昨日、駅へ行くバスの中からぼんやりと窓の外を見ていた。
バスは右折をするので、交差点で停止していた。ふと気づけば赤信号で止まっている自転車の後部座席に乗った男の子がこちらに手を振っている。
え?わたしに?目が合った。わたしも手を振った。彼はまた手を振り返してくれる。
バスはゆっくりと向きを変える。彼もくるりと反対に顔を動かしわたしを認めて再び手を振ってくれた。

微笑むでもなく、動かない表情のままで、静かに手を振り合った。 
だれも気付かぬ小さな世界、たった数十秒間の世界、さながら幻のようだった。
不条理だが、もっと他の意味があるのか 2019/12/06
長年に渡り、アフガニスタンで人道支援にあたって来た中村哲医師が亡くなった。
ソ連による侵略、アメリカなどからの空爆、激烈な内戦、アフガニスタンの人々は国際情勢に振り回されながら、困難な暮らしを強いられて来た。現在も戦火の下にあり、それは40年以上に渡る。
中村医師はそんな危険な中に飛び込み、貧困から人々を助け出そうと、井戸や灌漑用水路の建設に尽力していた。

ただただ悲しい。
尊敬してやまない、今の世界で最も尊い存在であった人だ。
それなのに、無残にも殺されてしまった。なんということだ。遠く会ったこともない人であるけれど、悲しくて泣いた。
そして、情けないのは、そう言っていながら、わたしは安穏とテレビを観、新聞を読み、SNSをチェックし、片手にワイングラスを持っている。
なんということだ!恥じ入るばかりだ。
これ以上はなにも言えない。偉そうなことなど言えるはずもない。

静かに考えてみた。なぜなのだろう。一体、こんなことが許されて良いのだろうか。平和のために人々のために自分を犠牲にして尽くしてきた人が、なぜこのような悲しく惨い目に遭わなければならないのか。
とうてい人知では計り得ないことがあるのだと思いながらも、悔しくて仕方がない。

すこしの休みが必要だと神様は判断したのだろうか。別の場所での仕事がもう用意されているのかもしれない。
こちらでの仕事に区切りをつけて、また新しい仕事にとりかかるのかもしれない、などと想像している。

とにかく、特別な人であった、いや今も現在進行形で、偉大な人であることは確かだ。
重い荷をおろして、ゆっくり休んでおられるだろうか。そうであってほしい。
そして、アフガニスタンに一日も早く平和が訪れますようにと祈らずにはいられない。
辻井さんのコンサート 2019/11/05
ケント・ナガノ指揮
ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートに行って来ました。
なんと、ピアノは辻井伸行さんです。

コンサート会場は文京シビックホール
演目
イェルク・ヴィトマン/コン・ブリオ
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
ブラームス /交響曲第1番

ヴィトマンのコン・ブリオは初めて聴いたのですけれど、その愉快な楽曲に驚きと感動がごちゃ混ぜになりました。
辻井さんの弾く「皇帝」はもちろん想像に違わずというか、想像を超えて美しく力強く、心打たれました。
そして、ドラマティックなブラームス、そのダイナミックなこと、優雅なこと、やっぱりブラームスは好きと思える演奏でした。

#LIVE
風邪を引いた日 2019/11/2
秋も深まり、樹々の色付きが目に美しく愛でたくなるこの頃ですが、そろそろ風邪の季節到来でもあります。
風邪を引いてしまった時、あ、あの時に引いたのだとわかりますよね。例えば、肌寒いと感じているのに上着を着ていなかったとか、シャンプーして濡れ髪のまま冷たい夜気に当たってしまったとか、雨の中で裸足のままサンダルで歩いてしまったとか、何かしら思い当たるものです。

一方、心が風邪を引いてしまった時、それも心当たりを探すと、ああ、あの時だったとわかります。ある日、何かのきっかけで、心が弱ってしまい、悲しみから抜け出せなくなることがあります。 負けまいと強く思って胸を叩いても、ずるずると深みにはまってしまいます。
そんな時にはただひたすらに回復を待つしかありません。
美味しいものを食べて、しっかり眠る、いい本を読むのも効果ありです。
友達とのおしゃべりもいい、でもそれは逆効果のこともあるから、気を付けて。
なんといってもいい音楽を聴く、これはかなりの効果が見込めます。そして旅に出る。

風邪が治った時を知るのは難しいですね。いつ治ったのかしら、気付くと元気になっていたと言う感じです。
心の風邪も同じで、いつの間にか治ってしまうものなのでしょうか。
そうだといいけれど、長引く風邪に悩まされないようにしたいもの。

心も身体も健やかでいたいけれど、いつもいつもというわけには行きません。油断していると、案外簡単に風邪を引いてしまうもの、まずは予防が肝心です。無理せず、暖かく過ごし、やわらかな笑顔を作って予防線を張ることにしましょう。
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