kaiだらけでごめん 海ちゃんのお気楽生活
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100分で名著 2019/03/04
だめですよね、、ちゃんと読まずに読んだ気になってるって。
Eテレの『100分で名著』を毎回逃さずに観ています。
読んでないのに、読んだ気になっちゃうのはだめだけど、すごく参考になる、考えさせられます。
100分でわかるはずもないのだけれど、ある特定の視点に立っての解説が自分の受けていたこととは違っていたりして、目からうろこなんてこともあります。
最近でとびきりに感銘を受けたのは、『オルテガ“大衆の反逆"』です。テキストまで買ってしまいました。
指南役は政治学者の中島岳志氏です。
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自分の居場所をもち、社会での役割を認識して、その役割を果たすために何をなすべきかを考える人、それが彼にとっての本来的な人間だった。近代人はそうではなくなり「大衆」化してしまっている。そして、その大衆はたやすく熱狂に流される危険があるというのが「大衆の反逆」という問題設定なのです。

トポス 自分の場所を失った 個性を奪われた人間 みんなと同じであることを喜ぶ平均人
平均人の特徴は一つは他人の意見に耳を傾けない。

専門家こそ大衆の原型である。
専門化によって失われた教養
専門化が進み、--幅広い教養が失われた時代、専門家ばかりで、教養人が少なくなっている時代。
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正に、今 現実に起きていることと思わずにいられません。
危機がそこに迫っているように感じます。
私も大衆の一人だからこそ、無関心ではいられません。
大きな波に流されないように、常に自分を顧みて、ささやかでも行動できる人でいたいと思いました。
いはで思ふぞ 2019/02/16
枕草子の講義を聴く機会がありました。春はあけぼの・・・で誰でも知っている枕草子ですが、じっくり読むことが無かったので参加したのはとても良かったです。
段に沿ってではなく、歴史に沿って読み進むと言う興味深い講義で、今まで知らなかったことが明らかになって、非常に有意義な二日間でした。

その中でとても印象に残った個所について書き留めておこうと思います。
清少納言は里居している時期に主人の中宮定子から長い手紙を受け取ります。手紙には山吹の花びらが包まれていました。なんと、花びらには「いはで思ふぞ」と書かれてありました。小さな花びらにです。
それは、歌集「古今和歌六帖」に載っている歌の一句でした。

「心には下ゆく水のわきかえり言はで思ふぞ言ふにまされる」 詠人知らず(古今和歌六帖)
(私の心の中には、表面からは見えない地下水がわき返っているように、口に出さないけれど、あなたのことを思っています。その思いは口に出して言うよりずっと優っているのです)

敬愛する定子が注いでくれた深い愛情によって、清少納言は再び仕える決心をしたのでした。中宮定子と清少納言は主従の関係だけではない強い友情によっても結ばれていたのだと思います。

口には出さずとも心の底には思いが湧くように流れているというのは、誰にでも経験があることです。そういう言葉にできない、もしくは言葉にはならない思いこそ尊いのかもしれません。

こんな詩も思い出しました。

みづのたたへのふかければ
おもてにさわぐなみもなし
ひともなげきのふかければ
いよよおもてのしずかなる
        高橋元吉

心の深いところに流れている川をみな持っているのですね。
口遊めば、こんこんと湧き出る水をたたえて、尚静かな水面、下を流れる水を感じることができそうです。
季節は冬へ 2018/12/30
窓辺の山椒がやっと色付き始めました。彼女にとっては今はまだ秋のようです。

わたくし、実は60代です。
そんなこと知ってるよと言われそうですが、
この間まで、アラフォーだと思っていたのに、アラフィフもあっという間に過ぎ去ってしまいました。
私の記憶に残る祖母の姿は、60代、同じくおばあちゃんなのか!

グググっときます。いやですよねー
とは言え抗っても、現実は現実。

そこで、考えてみました。どんな60代を目指そうかと。
美しいそれは無理と分かっていますので、可愛いそれならなんとかなりそう?
いやいや、可愛いはあまりにもイージーですね。
さりげないそれ、しなやかなそれ、
いろいろ考え、思い浮かんだのが、清々しいという言葉でした。清々しく生きて、清々しく人生を終われたら嬉しい。
清々しい60代、いいではないですか。

無理なことはささっと潔く諦める、けれども信じたことは簡単には手放さない。
なんでも年齢のせいにしたくはありません。
年に甘えず、だからといって年に抗うことなく、しなやかに生きて行きたいものだと思うこの頃です。
清々しく、物事に固執することなく、常に潔く、そして自由につつましく、けれども妥協することなく、おもねることなく、信じている通りに生きて行きたいと思うこの頃です。

年をとるのも案外悪くはないものです。自分が年をとってつくづくそう思うようになりました。
ものごとを俯瞰できるようになった気がしますし、そのことで今まで全く気づかずにいたことがくっきりと見えてきて、ああ、そうだったのかと理解できることが増えました。すると生きていること自体が、しみじみ愛おしく感じられるようになってくるのです。

必死に生きていたあの頃、周りが見えずに猪突猛進のごとく突き進んでいた頃、随分と遠回りしてしまったり、それと知らずに他人を傷つけてしまったり、失敗ばかりして、いえいえ、それらは現在も進行形なわけですけれど、そんなこんなの日々がとても貴重に思えてきます。

果てしない時間と宇宙の中で、一瞬であろう人生だけれども、儚いからこそ美しいのですね。
冬の季節へ入った私、清々しいかどうか、それが私の秤になりそうです。
蜘蛛さん 2018/11/23
彼の写真はありません。なので、ずっと前に撮った我が家の庭の蜘蛛の巣の写真をアップ。

カフカについて学ぶ機会があった。カフカと言えば、ある朝目覚めたら、自分が虫になっているという至極奇異な状況に置かれた男グレゴールの小説「変身」が有名である。

講義の中で、どんな虫を想像するか、名めいが絵を描いてみたら、二つに分かれた。カブト虫系とクモ系である。大抵、そのように二派に分かれるそうだ。私はカブト虫系を想像したのだけれど、どちらを想像するか、性格や感性などを研究してみたら、面白い結果を得ることができるかも知れない。

さて、変身を読んだからというわけでは決してないのだが、ここ数日、いや数週間、一匹のクモと一緒に生活している。もちろん、グレゴールに同情してのことではない。
我が家にいるのは、小さな黒いクモだ。ある日、玄関ホールで彼を見つけた。よく見たら身震いするほど気持ちが悪いのだけれど、そうと分かっているので、じっとは見ない。

あっ、クモ!と気付いたけれど、すぐにやり過ごした。
騒ぎ立てなくても、じきに出て行くことだろうし、特に悪さをすることもないだろう。それどころかクモは害虫を捕獲してくれる益虫なのだ。他の虫なら、なんとか外に出そうとするのだが、クモはそのまま放置しても問題ない。

それから毎日、彼をそこここで見つける。玄関で、リビングの壁のきわ、ドアの下とかで、まだ二階には上がってきてはいないようだ。掃除していると、慌てて下駄箱の下などに逃げ込む。

毎日出会うので、だんだん愛着がわいてきてしまった。昨夜は、お風呂で、シャワーを浴びている時に見かけてしまった。私に気付いたのか、じっとして動かないでいる。水に流されてしまったら大変なので、最新の注意を払わなければならなかった。
シャワーの後も同じ場所で身動きひとつしないので、弱っているのかなあと気になったけれど、数時間後に見たらいなくなっていた。

そして、今朝、掃除機をかけていたら玄関に元気に登場、すぐに下駄箱の下へ逃げて行った。
いつまでいるつもりか、長く我が家に居座るつもりなら、名前をつけちゃおうかなんて思ったり、いやいや、名前を付けていつまでもいられても困る。

それにしても、彼には我が家は、というか、この世界はどんなふうに見えているのだろう。私が見て感じている世界とは全く違うのだろうな。空間も時間も、私が知っているのとは異なる世界に住んでいるのだろうな。
以前、草むらで跪いて必死に探しものを探ったことがあった。あの時に感じたような不思議な別世界に彼は住んでいるのだと思う。
同じここに居ても、同じにここには居ない。次元が違うのかもしれない。

馬鹿げているようだが、まことしやかにそんなことを思い巡らすこの頃、クモさんに出会ったばかりに。さて、明日も会えるかな。​
承服できません 2018/10/23
朝、目覚めた時に雨音が聞こえるというのは、なんとも心地よい。
まどろみながら、耳を澄ませるのが好きだ。

思えば、息子を出産した日も同じように雨音がした。もうろうとしながらもその音を聞いていた。
夫が、ほら、好きな雨が降ってきたよと、わたしを励ましてくれたのをよく覚えている。
そうそう、娘が生まれた日は、雪が降っていた。あの頃は札幌に暮らしていて、その冬の根雪になった日だった。
どか雪で交通が乱れているのに、生まれそうなんてどうしましょうと、てんてこまいしてしまった。

そういう記念すべき日のお天気は、しっかりとその情景と共に心に焼き付いているものだ。
あれから、長いとし月が流れて、子どもたちはもうその時のわたしよりもずっと大人になってしまった。
なんだか、追い越されてしまった感じがするくらいだ。
なんて、わたしこそ、すっかり年を取ってしまい、鏡を見るとがっかりなのだけど。

一方で、ちっとも年を取らずにいる夫。時折、写真に向かって文句を言いたくなる。
再び会える日が来ても、わたしだけおばあさんなんて、ほんと、困ります。
どうしたものかと、いえ、どうにもできないけれど、とにかくそれは受け入れがたい。
ふーっとため息がひとつ漏れてしまった。
いけないいけない、ため息つくとしあわせが逃げて行くよって、言われていたっけ。
ルオーの「愛の最も美しいかたち」 2018/10/20
ジョルジュ・ルオーについて知ったのは、遠藤周作の小説からだ。
図書館から早速画集を借りてきて、何度も食い入るように眺めた記憶がある。
それまで観てきた宗教画の概念を覆す絵ばかりだった。

さて、パナソニック 汐留ミュージアム 開館15周年特別展 ジョルジュ・ルオー 「聖なる芸術とモデルニテ」に足を運んだ。
20世紀フランスを代表する画家ジョルジュ・ルオー(1871-1958)
生涯にわたってイエスや聖書の絵を描き続け、特にキリストの「聖顔」を何枚も何枚も描いている。

ルオーの描くキリストの顔は全く整っていない。
穏やかな優しさや、静謐さや高貴さだけでなく、ほとばしる情熱、パッションを感じてしまう。
キリストの孤独と苦渋、悲哀、祈りと愛も伝わってきて、観るものを圧倒する。

ルオーはただひたすらにイエスを、愛していたのだと思う。
恋と言ってもいいような高まる気持ちを抱いていたのだと思う。だから、あんな力に満ちたキリストの聖顔が描けた。
実際、信仰は恋に似ている。ふつふつと湧き上がる感情は、誰にも止められないものだ。
生涯を終えるまでルオーはイエスを愛し続けた。絵を描くことがルオーの献身だったのだろうか。
灯りをデザイン 2018/09/30
洗練されたデザインの北欧照明 やさしい光です。

過日、友人の家に招かれた時のこと

夕闇となって部屋に明かりが灯った時、友人が言いました。
暗くないですか?ちょっと暗いですよね。

いえいえ、ちっとも。心地よい明るさですよ。

明るければいいと言うことではない。このくらいがちょうどいいです。

木の香りがする心和むお部屋、昼間は陽当たりが良くて 素敵なお庭の延長のようなリビング、夜になれば程よい明るさで落ち着いてくつろげる空間が広がります。

常々、思うのですが、得てして、明る過ぎる場所が多過ぎます。実際、それで疲れてしまうほどです。

我が家を建て替える時に、照明にはひどく気を使いました。照明って、後からいろいろといじるのは難しいので、最初から仕込まないとと思って。

程よく落ち着く明るさ、ぽっとした暖かい明かり、優しい影を作る明かり、シンプルな美しい明かりをイメージして、散々悩みました。多くのショールームを訪れたり、書籍で勉強したりして、そうそう、照明の本と言えば、ライティングデザイナー東海林弘靖氏の「Delicious Lithing(デリシャスライティング)」はページをめくれば、わくわくするような写真とアイディアがいっぱいで、とても参考になりました。
とは言え、これぞと思うような高価な凝った作りにはできませんでしたし、、今になれば、こうすればああすればよかったと後悔が残りますけれど、精一杯気を配った成果はあったと思います。

建築士さんは、リビング暗くないですかと、心配されていましたけれども、抑え気味な照明のおかげでほっと安心できる、それも美しい影も楽しめる部屋となり、気に入っています。

最近、ダイニングの3つのペンダントの蛍光灯が一つ切れてしまったので、3つとも説明書通りの明るさのLEDに変更しました。けれども、どうにも明る過ぎて疲れてしまい、結局一段低いものに付け替えました。
するとなんだかギラギラしていた部屋に落ち着きが戻りました。

明るければ良いのではないです。相応の明るさが必要なのです。しかも少し暗めなくらいが、 ちょうど良いと感じています。

明るいことに慣れすぎてしまっている私たち、暗さを体験できない生活をずっと送ってきてしまっています。少し不便を感じるくらいでもちっともかまわないのではないかしらって、思っています。
たまの贅沢 2018/08/14
kaiちゃんは基本、はだかんぼですが(ふっさふさの被毛があるのでね)、キャンプでは草の実が付かないようにTシャツを着ました。

いつもバーゲン狙いのわたくしですが、珍しくプロパー価格で洋服を買いました。
ついつい良さそうな洋服や化粧品に目が止まって欲しくなってしまう、困ったものです。
だから、日頃からお店を通りがかっても、ウィンドウを見るだけで中には入らないようにしています。
けれども、たまには一年に2回ほど何かの区切りがついた時など、自分を甘やかして散財を許してしまいます。

今回買ったのはスイートキャメルの少しワイドなシルエットのジーンズ。ジーンズは十分すぎるほど持っているのだから必要ないわけで、ただただ自分の欲を満たすためですよね。
それは分かっています。でも定番のリーバイスの505や501でも、毎年少しずつ形が違っていて、手持ちのジーンズとは違うんですよって、自分に言い訳しながらです。

それに実を言うと、ここ数年はローライズのジーンズが幅を効かせていたので、遠慮していたんです。だって、ローライズって履き心地が最悪ではないですか。悲しいかな、贅肉のついたお腹には、不向きってことです(汗)
それが昨年あたりからハイライズ、いえ普通の股上のパンツが戻って来て、やっとホッとしているのです。よかったよかった。

ジーンズにすごく詳しかった夫なら、なんて言うでしょうか。結婚以来、洋服、特にジーンズは彼に見立ててもらっていたので、少し心配です。
でも言っていたな。定番もいいけど、おしゃれには意外性が大事だって。
あれ、こういう服も着るんだって思わせることも楽しいよってね。

そんなわけで、鏡の前であれこれ合わせながら、汗だくです。
今年はどうも、Tシャツやカットソーよりブラウスがトレンドのようですね。少しは流行も取り入れつつ、自分に合うのはどんなかな。

おしゃれは楽しい。とっても大事だと思っています。
ちょっとのおしゃれで気分が上向きになるのですもの、素敵な日々を送るためにも活用しなくっちゃです。
夏が終わる前に、ジーンズにサンダルで闊歩してみましょうかね。
FamilyLife 2018/07/30
ファミリー・ライフ
アキール シャルマ (著) 小野 正嗣 (翻訳)

今年になって読んだ本の中で現在のところ、私の一番はこの本です。
インドからアメリカに渡った移民一家の物語、タイトルや装丁から受ける印象とは異なり、ずしんと重いストーリーで、読み終えてもしばらくは立ち上がれない、考え込んでしまったのでしたが、著者アキール・シャルマ氏のまっすぐな視点と正直な文章、家族や社会やひいては自分の生き方についての、が胸に応えました。
最後の一文はとても意味深で衝撃的なのですけれど、理解できると感じました。すごく複雑にからみあった感情から出た言葉のようにも思えるし、意外とシンプルなのかもしれない。一応の成功を修めたと言える主人公の、家族、とりわけ母親への愛、と同時に湧いて来る後ろめたさや罪の意識が渦巻いて発せられたのかと思われるのでした。
家族ってすごく複雑、とても大切だけれども、時にはあしかせにもなる、しかも逃れられない、家族愛というだけでは語りつくせないものですね。

翻訳者である小野正嗣氏のあとがきが、またとても素晴らしいのです。
アキール シャルマ氏との素敵な出会いの一部始終を通して、作品へのひとかたならぬ思い入れが感じられました。
いつも同じでいいの? 2018/06/13
この夏お気に入りのTシャツ Joy, Peace, Hope and Love!

他人は、毎日家ではどんな服を着ているのだろう。ちょっと恥ずかしいのだけれど、わたしは家ではいつも同じ格好をしている。
一年中、デニムのジャンパースカートなのだ。その下には、春夏ならTシャツ、ヘインズの3枚パックのよれっとしたあれ、秋冬になるとハイネックのカットソーを着る。寒くなれば、これまた同じカーディガンを羽織り、レギンスをあたたかい起毛のものに変える。

いつもおんなじなのだ。ゴミ出しも犬の散歩もこれで済ませてしまう。
デニムのジャンスカはエプロン替わりでもある。お掃除やお料理で汚れたって気にならないし、ガンガン洗濯すれば大抵は落ちてくれる。家での仕事着として最適である。ジーンズでもいいのだけれど、エプロンにはならないし、やっぱりスカートがいい。
スカートって、楽。試せない男性が気の毒に思うくらいだ。
以前、女装が趣味の男性がスカートの心地よさを熱心に語っていたが、やっぱりといたく同感した。

実は、同じジャンスカを3枚持っている。だから、同じ格好でも昨日のジャンスカとは違うのだ。
ちゃんと着替えています。ちゃんと洗濯しています。念のため、誤解のないように。
娘に「そういえば、この間のより色が濃いね。」って言われた。
いつも同じで、どうなのよって、呆れられながら。

そういえば、歌人の穂村 弘さんが、同じズボンを10本持っていると書いていた。彼の場合には外出もすべてそのズボンだということだから、わたしは足元にも及ばないけれど、ちょっと親近感を持ってしまった。
そうそう、スティーブ・ジョブス氏だっていつも黒のタートルネックとジーンズだったのを思い出した。

あれれ、わたしったら自分を正当化するために、あれこれと理屈をこねていますね。
まあ、しかし恐らく、わたしは死ぬまで家ではこのスタイルを続けるだろう。大丈夫、おばあちゃんになってもデニムのジャンスカで行きます。それにはもう1枚必要かな。
kaiちゃんの日 2018/03/03
​今日はkaiちゃんの日。
kaiちゃんの病気は皮膚から始まったので、病状は外に現れます。
だから、その頃の写真を見る度に辛い病態が目に見えて、可哀想だったなとつくづく思うのです。
治療の効果を期待して、毎日毎日、顔の写真を撮りました。
私のipadのデータはkaiちゃんのそれも鼻と眼のアップの写真ばかり。
今日は少し赤いかなとか、広がっていないかなとか、、、
どんな些細なことも見逃さず、一喜一憂していました。
水をどのくらい飲んだかとか何をどれだけ食べたかとか、kaiちゃんの表情とか気付いたことはなんでも記録していたけれど、3月3日のことは書き記せないでいます。
でも書き残す必要は無いのです。だって、けっして忘れることはないのですから。

今ごろ、どうしているかしら。
会いたいなあ。

アスカとヒリュウ、kaiちゃん、みんなに会って思いきり抱きしめる。
もちろんそこには夫も笑顔で立っています。
そんなシーンを想像しています。
いつか本当になると信じています。
その日まで、頑張るつもりです。
似合う色って 2018/02/04
大分くたびれてきた大好きなPコート

年を取って似合わなくなった色がある。
以前は好きで着ていた紫やピンクなんて、もはやお手上げである。きっとくすんでしまった肌のせいだろうと思う。
ここ数年、好んで身につけるのはアースカラーと言われる色だ。

ゴールデンと一緒に生活して困る唯一の事と言えば、彼らの豊かな美しい被毛が全身に付いてしまうこと。
だから決して紺や黒は着られない。
ベージュとグレー、これこそ鉄板だ。

アスカからkaiちゃん、ゴールデンと暮らしてきた20年以上、紺や黒はできるだけ避けてきたのだけれど、kaiちゃんを見送っていよいよ袖を通すことが増えてきた。

ここ何年も封印していたネイビーのピーコートを着て出かけた時のこと、マフラーを首に巻いて大急ぎでバスに乗り、シートに座ってほっとしたとたんに、驚いた。何千本ものkaiっ毛がコートにびっしり付いてしまっているではないか。そう、マフラーにゴッソリkaiちゃんの毛が付いていたのだ。
やれやれと思いながら、ちょびっと嬉しい気持ち。

ともあれ黒を着るシニアの女性が多いことに納得する。白い肌は七難隠すというけれど、反対に黒という色も七難隠すようだ。
その内、わたし、黒ずくめになってしまうかも(笑)
でも、黒い服を着る時、何故か後ろめたい悲しみがふっと湧いてしまう。
kaiちゃんに申し訳ないような気がして。
この感じ、いつまでも消えないのだろうな。
2018/01/24

過去を振り返ることが多いと感じるこの頃、

そう言えば、20代以降はずっと誰かのために生きてきたと思う。

今はどうか。

私を頼りにしている人はもういないかな。

じっと、考えてみた。

わたしを必要としているのって、一番は私自身なのではないか。

わたしがわたしを必要としている。確かに、そうだ。

わたしはわたし、そしてそのわたしが好きと思えるとは幸せなことだ。

自分自身を大切に思い、認めて愛することができるなら、他の人のことも大事にしなくてはね。
年の初めに 2018/01/09
​​2018年、始まりました。
外の世界は目まぐるしく動いています。私自身の周りも多くの変化が起きています。
少し、待っててほしい、そんな気分にさせられます。

星野道夫さんの「旅をする木」に、こんな記述がありました。
考古学への発掘に出かけた隊員の話です。シェルパがストライキを起こします。報酬をあげて欲しいというのだと思ったら、シェルパは言うのです。

「私たちはここまで速く歩き過ぎてしまい、心を置き去りにして来てしまった。心がこの場所に追いつくまで、私たちはしばらくここで待っているのです。」

心が追い付いていない、そんな言葉がぴったりに思う時があります。
そんな時は、迷わずそこに留まりましょう。そうでないと、先々きっと無理がたたるでしょう。
慌てることはないと自分に言い聞かせています。
あくせくせずに、一つ一つのできごと、一人一人との出会い、一日一日を大切に過ごして行きたいと思っています。
捨てられないカーディガン 2017/12/22
物持ち良いと言われれば確かにそうなのですが、捨てられないカーディガンがあります。
かれこれ25年位も着続けているラムウールのカーディガン。それも冬になれば毎日です。ノーブランドで安く買ったものですが、これ以上軽くて暖かいカーディガンにまだ逢ったことがありません。
それに加えて、kaiちゃん毛が付いても、ちっとも気にならないの。これって、ポイント高いでしょ。
長袖のカットソーを着てこれを羽織れば、ぽっかぽか。kaiちゃんとのお散歩も、このカーディガンで出かけたものです。
でもね、もういい加減くたびれてきたんです。ところどころ、ほころびてきました。特に、袖口と肘のあたり、kai ちゃんが、つんつんするのでね。

ここ数年、代わるカーディガンを探していました。捨てないから、結局はまたこれを着ることになってしまう、それで今年こそはと、春の衣替えで捨ててしまったのです。
が、しかし、冬を迎えて、いいカーディガンが見つからない!

ユニクロのメンズのがいいらしいと聞いたのだけど、うーん、ユニクロはどうかなーー
あんまり好きじゃない、というより、できれば買いたくないと思っています。
いい物もあると思うのだけど、私にとっての企業イメージが良く無いというか、、ね。まっ、私個人の感想ですが。

さて、捨ててしまったことを、さんざん後悔したのです。本当に捨てたのだろうか、もしかして、捨てようと思っただけで残していたかもしれない、、そう思ってクローゼットをかき回してみたり。やっぱり無いと、再び後悔。

ところがです。ある日、探したはずのクローゼットに、
本当に散々探したはずなのに、すぐ目の前にしらーっと掛かっているではないですか!
まるで魔法のようですが、捨てようとして、やっぱり思いとどまったということですね。
だもんで、この冬もまた袖を通してしまいました。

捨てたと思っていたのに、思いがけなくまた手元に戻ったのが余りに嬉しい驚きだったので、つまらないことですが、だらだらと書いてしまいました。
要するに、このカーディガンは捨てられないってゆうことです。
kaiちゃんのこと、思い出すのでした。kaiちゃんにあけられた穴を繕った跡を見れば、彼を思い出します。なんだかkaiちゃんの匂いまでするような気がします
ほんとうにあったかいカーディガンなんです。
知ってた? 2017/10/23
想い出深い碌山美術館

絵を鑑賞するって、どうしたらいいのかわからないな。
あら、ただ観て
きれいだなとか、おもしろいなとか、 悲しそうとか、自由に想像すればいいんじゃなあい?
夫に尋ねられた時に、そんな風に応えた。私だってわからない。でも、気持ち良い絵を観たら、さあっと目の前が開ける気がする。
結婚しなかったら、こうして美術館巡りをして絵や彫刻を観ることなんて、きっとなかっただろうな、とも夫はつぶやいた。

二人で生きることで、広がったよね、確かに世界は二倍になった、うん本当に。

彼と一緒にならなかったら、
まず、車の免許は取っていなかった。
山登りも、キャンプもしていなかったのは確実だ。
そして犬を好きになることもなかった。

もう一つの違う世界を示してくれたのだった。

何でも悲観的に考えていた嘗ての私には、大体、幸せを感じることってどんなかわからなかったし、そうなれるなんて夢にも思わずにいたから。
人生、本当に分からないものだ。
十代の私にしてみたら、今の私は奇跡なんだから。
って、夫に話しかけてみた。
コンサートin埼玉会館 2017/10/07
もう何ヶ月も前から楽しみにしていたコンサート。
小曽根真とNHK交響楽団のコラボレーションは今年1月にも聴きに行きました。
それが、さいたま市にも来ると言うことで、これは行かなければとチケットを随分前から用意していたのでした。

NHK交響楽団
リオ・クオクマン(指揮)
小曽根 真(ピアノ)

Program
グリンカ:歌劇≪ルスランとリュドミラ≫より序曲
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 作品26
ドヴォルジャーク:交響曲 第8番 ト長調 作品88

バスに乗って駅まで、でも渋滞していて、やきもきしました。駅に着いたらそぼ降る雨の中、ホールまで速足で急ぎ、なんとか開演には遅れずにすみました。
いつもコンサートと言えば都内まで行くのが面倒なのですが、地元で開催は本当に嬉しい。

満席の会場、年齢層は思った通り高め、でも熱気は凄いです。もちろん、コンサートは素晴らしかったです。
小曽根さんはいつも通り、素敵でしたし、その超絶技巧にはうなりました。
リオ・クオクマンさんはマカオ出身36歳の才気ある若き指揮者。その指揮はとてもダイナミックでぐいぐいと音楽の中に引き込まれてしまいました。
ドヴォルジャークは1月のコンサートでは有名な9番を聴きましたが、今回は8番、9番「新世界」に隠れてなかなか聴く機会がありませんが、ドヴォルジャークの美しい旋律が踊っていました。

さて、音楽とは関係ありませんが、コンサートの休憩の時のこと。
私は密かにこの休憩時間がとても好きなのです。
いつも一人で来たら、たった15分か20分の間ですが、片隅にできたカウンターで飲み物を注文して、周りを眺めながら過ごします。
その時間が好き。
少しお腹が空いていたので、赤ワインとキッシュを注文してカウンターの椅子に寄りかかっていると、右隣に同じくらいの年齢の女性がビールを飲んでいました。一人で来ているらしく、なんだか親近感。
左隣に、男性が一人で赤ワインのグラスとオレンジジュースのグラスを置いたと思ったら、ぐびーっとワインを一気飲み、その後、オレンジジュースも一気飲み、よほど喉が渇いていたのでしょうかね。
びっくりしちゃいました。なんなら、ビールの方が良かったのでは?と思ったけれど、でも炭酸が苦手なのかもしれませんね。
はっ、余計なお世話ですけど。。。

極上の音楽を聴いた後は、ひとり我が家近くの浜寿司さんで、舌鼓でした。

#LIVE
ジャコメッティ 2017/09/16
「頭部」(1959年)

ジャコメッティ展に行って来ました。
スイスに生まれ、フランスで活躍した彫刻家アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)
ごつごつとした触感、ここまでもと思う程に贅肉を落としたフォルムは彼の特徴です。
パンフレットには、以下のように記載されています。
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アフリカやオセアニアの美術やキュビズムへの傾倒、シュルレアリズム運動への参加など、同時代の先鋭的な動きを吸収したのち、細長い形と凸凹のある表面が特徴的な唯一無二のスタイルを生み出しました。見ることと造ることのあいだの葛藤の先に、虚飾を取り去って人間の本質に迫ろうとしたのです。
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ジャコメッティにとっての視覚で受け取る人間の真実はこのような様式になるということなのでしょうか。
なかなか、理解できないのですが、私たちに見えている真実は実は私たちにそう見えるということだけであり、本来の姿は別である、、のかもしれません。
もっともっと学びの時間が私には必要です。
高さ2.76メートルの《大きな女性立像Ⅱ》(1960年)

この展覧会は記憶に強く残りました。
余分なものが極限までそぎ落とされ、細く細く伸びた手足、無表情な顔、特異なそのスタイルの彫刻をじっと眺めていて、
そこから私が感じたことをひと言で言うのであれば、妙なことに
【清潔】という言葉でした。
おしゃれしよう 2017/09/08
足元って大事。形が少し大胆な、私にはちょっと冒険のこの夏のサンダル。

ここ数日、涼しい日が続いてエアコン無しで過ごしていましたが、今日は晴れて少し蒸し暑く、思わずエアコンのリモコンに手が伸びました。それでも、季節は秋、秋と言えばおしゃれの季節ですよね。

先日、私にしては贅沢をして、大枚はたいて大好きなマーガレットハウエルのブラウスを買ってしまいました。
安価な洋服が簡単に手に入るこの頃、なるべく買わないようにしているはずなのに、ネットでポチってしてしまうこともしばしば、いつの間にかクローゼットは満杯になってしまい、後悔ばかりです。
1年は365日しかない、こんなに沢山の洋服は要らないはず。
それでもなかなか捨てられない私、だから、もう買わないと決めたはずなのに。
良い物を少しだけ持つ、これが心地良いとわかっています。
高くても、長く大切に使う、それが一番だ、ブラウス衝動買いの言い訳に過ぎませんけどね。

今夜は友人と会う約束をしています。
何を着て行こうか、考えるのも楽しみの一つ。
買ったチャコールグレーのブラウスにグレーのサマーウールのパンツ、そのパンツ、かなり古いものだけれど、ずっと愛用しています。今年のテイストに合わせて短めに裾をかなり切りましたので、また活躍しています。
もう秋だけれど、少し暑さが戻った今夜は最後のつもりで白いサンダルを合わせます。
秋色のペディキュアは必須です。

話しが飛んでしまいますが、髪を切りました。
肩より短くしたのは、それこそ30年ぶり位です。短い髪は自分には似合わないって思い込んでいたのですけれど、鏡を見たらなんだかはつらつと明るくなった気がして、気に入っています。

髪型もお化粧も洋服も、自分らしさも大事だけれど、たまには冒険もしなくっちゃ。それこそエッセンス。
少しのチェンジで、心も軽くなった気分になれます。
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