だが、しかし、爆烈火口壁は生い茂った木々に隠れてしまっていました。
むしろ、道路からの方が良く見えたのですけれど、走行中は写真は撮れずでした。
ところで、裏磐梯ビジターセンターに立ち寄った際、磐梯山の噴火とその被害について施設の方に伺いました。
磐梯山は明治21(1888)年の噴火により、山体が崩壊して、桧原湖、小野川湖、秋元湖、五色沼はじめ300余の沼や湖ができたそうです。
その際、北側の集落が埋没し、477名もの方々が亡くなりました。それ以降、日本ではこれ以上の規模の火山噴火は起きていません。
現在の美しい湖と山々が形成されて、まだ、130年ほどしか経っていないのに驚かされます。
そして、その下には村がそのまま埋まり多くの人々が眠っているのだということに、改めて思いを馳せました。 |